昨日より暑いのはマシになった。
時々吹く風が心地よい。
大阪メトロを乗り継いで同窓会館でのコーラスの練習に行く。
同窓会館の前で、先輩の90歳になるSさんが花束を持って来て石碑の前で祈っておられた。
第二次大戦の末期、1945年6月1日午前中に米軍の爆撃を受けて、生徒が3人と職員1人が逃げ込んだ防空壕の中で焼け死んだ。
これはその記念の石碑。
この事はブログに何度も繰り返し書いている。
当時、女学校1年生だったSさんは、その前の空襲で家が全焼したので、田舎に疎開して学校を休んでいた。
もし、登校して居たら友人と同じ防空壕へ入って居たから死んでいたと思う、という。
何日か前に防空壕に逃げる練習をした、というのだ。
「私は偶然生き残って、90歳まで元気に過ごして、母校に来て歌を歌っている。
友達の分も機嫌良く暮らさなあかんと思ってるねん・・・」と言った。
毎年この季節にお花を持って来ていたけれど、コロナでコーラスも練習出来ず、今日は3年ぶりなのである。
よく見れば、3年前に供えた百合の花の種が溢れて、那智黒石の間から三つ小さな芽を出して成長している。
(白い入れ物の手前に一つ)。
今後、毎年来られなくなっても百合の花が石碑の前で咲き続けるかも知れない。