戦争の日々のことはちょっと休憩。
昨日、幼い日の妹の姿を写真で見て懐かしくなった。
4年生になった春 妹は1年生で入学して来た。
ひ弱な私と違って4月生まれの妹は体格が良く、身長は私とあまり変わらなかった。
お揃いの布で作った服を着せられていたし「双子〜」とやじられた事もあった。
姉としてはすごい屈辱。
電車通学だったので「帰りも一緒に連れて帰ってやりなさいよ」と母の命令で、早く授業が終わった妹は校門のところで待っていた。
職員室の近くだし、暇な女の先生が代わる代わる相手をして下さっていた。
「Sちゃん」は先生の間でも有名になった。
私の友人たちも「Sちゃん」と呼んで可愛がってくれた。
Sちゃんはある日 4年生の教室までやって来て「男の子が頭叩きやった」と言った。
聞きつけた私の友達数人が「誰がいじめんねん!」と1年生の教室へ殴り込みに行った・・・友達はヤクザ?
だから昨日の遠足写真も溶け込んでいる。
「妹がついてくると言って泣くから仕方なく連れて来ました」と先生に告げても、「ええよ、一緒に行ったらええわ」と優しいB先生。
この日だけではない。
私が友達と遊びに行く時は必ずついて来た。
「お母ちゃん、Sちゃんが付いてくる〜邪魔や」と母に訴えると、母は「そんな意地悪言わんと連れて行ってやりなさい」と妹の味方をした。
常に私の世界へ侵入してくる妹。
いつも私は妹連れ。
この関係はずーっと年老いても続いていて、妹家族が山口県へ転宅してからも再々帰阪して我が家に泊まっていた。
生涯仲良し姉妹なのだが、ここ4年半会ってない。
妹の体調が今ひとつ良くないし、私も御同様。
コロナで引き裂かれて・・・。
「春になったら会おうね」と約束してから3年も経ってしまった。
幼い日の妹と私