a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

教育勅語とは

いつまで続くこの暑さ。

ブラシをしてもらった後。

日差しが部屋の中へ入り込んで暑いよ。

 

一昨日の日曜日に放送されたNHK司馬遼太郎の雑談「昭和」への道、今日も聞く。

この番組は司馬遼太郎さん生誕100年のアンコール放送。

日本という国が、昭和元年から20年までは別の国になっていたというお話から、

4回目は明治23年に出来た「教育勅語」についての話だった。

先に作られた明治憲法は平易な日本語なのに、これは朱子学に沿って漢語で作られている。

日本語に訳して「朕おもふに・・・」で始まっている。

終戦後まで、小学校(国民学校と言った)の校庭には奉安殿という小さな建物が二宮金次郎銅像と並んで建っていた。

教育勅語」の巻物はその中に収められていて、全校生徒が直立不動で並んでいる前で、校長先生が白い手袋をはめて、おもむろに塗りの箱の紐を解いて蓋を開け、巻物を取り出し、開いて読み出す。

その動作ひとつひとつが丁寧でゆっくりしたテンポでイラつく。

でも動いたり喋ったりしてはならない。

黙って立って辛抱してじっと聞いたのだった。

(校長先生はなんていうたはんのかな?)

私はまだ低学年だったので覚えることはなかったが、姉たちは暗記していたと思う。

 

終戦後、平和が訪れて歌舞伎が復活して、8代目坂東三津五郎勧進帳を演じることになったが、肝心の小道具の巻物が無くなった(戦災で焼けてしまったのか)。

そこで、京都府立第一中学校の校長先生に頼んで、例の巻物を奉安殿から出して、代わりに使ったという。

勧進帳」では白紙の巻物を、武蔵坊弁慶がいかにも書いてあるように、つらつら読むところが見せ場なのだけど、巻物を広げた三津五郎さんは「朕おもふに・・・」って書いてあるのを見て、知ってはいてもどんな気持ちだったのだろう。

 

雑談はまだまだ続く様である。