享年83歳。
市川猿翁さんは20年前に脳梗塞で倒れてから舞台に出ることはなかったが、若くして伯父二代目猿之助や父段四郎を亡くして、若くして「市川猿之助」となったが、歌舞伎界では後ろ盾がなく孤児の様だった。
市川猿翁さんには持って生まれた美しい顔立ちと才能と演技力があった。
口跡もよく立役も女形もこなした。
ずーっと昔、C子姉ちゃんが歌舞伎を見てきて「あんな綺麗な役者さん見たことないわ」と珍しく褒め称えていたので、どんな役者やろ?と私まで興味を持たされた。
「お母様が高杉早苗やもん、お母さんに似たはるねんわ」と姉ちゃんは言った。
新しい一座で、歌舞伎の世界では珍しい上方のケレンを使った演出で大当たりした。
古い歌舞伎界の大御所達に「サーカスのようだ」と批判されたが、めげず宙吊りで客席を沸かせ一世を風靡した。
私も初めはちょっと何?この歌舞伎は・・・と思っていたが、亡き夫がこの猿之助歌舞伎が大のお気に入りになって、公演のたびに毎回観に行った。
スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」も京都の南座まで行ってみたのだった。
初めて見たのは「義経千本桜」。
早替わりと、最後に鼓を持って宙吊りで舞台から天井に向かって消えていく。
客席では「あれ〜〜」と怖さと見事さに驚いて、口をあんぐり開けて見とれたのだった。
天井に向かって「澤瀉や〜」と叫んだのだった。
日本舞踊の師匠の妻に生涯を通して恋焦がれ、結婚した相手に悲しい思いをさせた。
体が弱ってから、別れた子供市川中車(香川照之)と対面したり、まことに芝居以上にドラマチックな人生だった。