a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

坂田藤十郎さんが亡くなる

暖かすぎて眠〜い一日だった。

 

一昨日、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんが亡くなったとニュースで知った。

私が若い頃(60年前)人気絶頂の女形だった。

その頃の名前は中村扇雀

 

熱狂的なファンだった友達がサイン入りのブロマイドを勿体つけてくれた。

そんなに贔屓(ひいき)にしていなかった私は大切にせず失ってしまった。

 

私が贔屓にしていたのは13世片岡仁左衛門とか菊五郎劇団の尾上松緑

渋いおじさんが好きだった。

 

この頃、大阪で昔から盛んだった関西歌舞伎が何故だか衰退して、二代目中村鴈治郎は映画に行ってしまい、関西歌舞伎で残っているのは13世片岡仁左衛門の率いる松島屋一門だけとなっていた。

仁左衛門が若い人を歌舞伎に戻そうと頑張っていた。

私は「学生歌舞伎同好会」に誘われて入会。

バスツアーで京都へ遊びに行ったり、楽屋へも遊びに行った。

仁左衛門さんは優しい人で、私と友達に、

「次は四谷怪談やで。

お岩さん怖いで~あんさんら大丈夫かなあ?」

と面白く話をして下さったのを思い出す。

 

当時、今の15世仁左衛門さんはまだ子役だった。

なんの舞台か忘れたけれど、丁稚の役で「お茶もっといなはれ」と言われて、

「へ〜〜〜い」と返事をして叱られる役をしていた。

 

また父が入っていたクラブ主催の仁左衛門さんの講演会にも動員されて聞きに行った。

戦時中の食べ物が無かった時の話や、東京へ修行に出された時の話など。

話術が巧みで人柄が良く大好きな役者さんだった。

持っていた扇子にサインをしてもらった。

 

だから今人気絶頂の片岡仁左衛門さんは大好きなのである。

上方歌舞伎の和事(わごと)、色街の女に入れあげる情けない男の役。

「廓文章」など絶品。

この上方の伝統は守って欲しい。

 

今年のお正月公演に松竹座へ行った時「坂田藤十郎は体調悪く休演」とのことで、見られなかった。

扇雀はん見られへんかったな〜」と友達と言い合ったのを思い出す。

 

コロナが治ったら歌舞伎を見に行こう。

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晩年の13世片岡仁左衛門さん。