忙しくて楽しい日曜日だった。
朝、毛糸のマフラーが欲しい程の風の冷たさの中を、急いで教会へゆく。
聖歌隊の練習に十分間に合った。
Sさんに会った。
早く出て来た私に、
「あんまり無理せんときや〜」って彼女らしい労りの言葉をかけて貰った。
無理はしていないけど、精一杯ってとこかな。
礼拝で、ペテロの確かな信仰告白の箇所の説教をを聞き(マタイ16章13〜18)、聖餐を授かり、讃美歌を沢山歌った。
お昼を食べてからJ子さんに「源氏物語」の講義を受ける。
聴講生6人(年寄りばかりで私が最長老)。
今日は「桐壺」から、
*飽かぬ別れ・・・御息所(桐壺の更衣)の病が重くなったので、御子は宮中に置いて、里へ退出することになった。
帝の嘆きの激しさ。
この頃は感極まったら歌を詠むという習慣?習性があるようだ。
限りとて別れる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
あゝ悲しくて辛くてたまらん・・・で思わず歌を詠むみたい。
*藤壺の入内・・・源氏の君の亡き母御息所に面影がそっくりな若くて美しい女性であった。
帝は幼い源氏の君を妃たちの元に行く時も連れて行く、という異常なまでの可愛がり方をした!
弘微殿の女御(第一皇子の母)は、
「ものし。」と思したり。
なんて言う面白い表現もある。不愉快やわって感じかな。
源氏の君は、
なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、「光る君」と聞ゆ。
輝くような美しさと表現されている。
古文は好きだけれど、声を出して詠むのは何年ぶりだろう。
今日は順番に声を出して読んだ。
高校生の頃、授業で「はい次a-dollさん読んで〜」と言われて立って読んだ時以来。
新鮮で楽しくてわくわくする。
友人たちも楽しそう。
来月は「夕顔」を読む。
楽しみやなあ。
私の友達はみんな漢字が好きで、今日は讃美歌の歌詞の漢字に疑問を持ったYさん。
新聖歌145番の3番の歌詞の中の<誇れる世人の嘲みに遭えど>の嘲みって言葉が「?」私は歌詞をしっかり読まずに歌っているから気づかなかった。
嘲り(あざけり)というと字余りになるから嘲み(あざみ)となったのかな?
今度J子さんに聞いてみよう。