a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

元気になる「優しい体操」

今朝も暑い。

「優しい体操」は夏休みもなくて、午前中に集会所で行われる。

今朝は当番なので30分早く出た。集会所までは10分ほどの距離だが坂道が続く。

車で送ってもらった。

先週はお食事会も兼ねていたので全員出席!だったけど、今日は欠席者がちらほらと・・・。

「毎回お食事付きやったら暑うても皆来るわ〜」とお世話役。

帰りは友達と喋りながらぶらぶらと歩く。

下りの坂道だから楽チン。

体操に行った日は元気になる、

辛抱強い私

いつまでも蒸し暑くて、辛抱強い私でも「キーッ」と叫びたくなる。

その上アレルギーで目が痒かったり、目の中に黒い星が現れたり、喉がガサガサしたりする。

それでも私はいちじくのジャムを炊いたり、レースのカーテンを洗ったりして、頑張るのである。

 

   *  *  *  *  *  *  *  *  

 

主の祈り (12) キリストの祈り

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより

 

最後の晩餐で祈られた言葉の大切な真理。

聖書 ヨハネ17:11-17

1、弟子たちが守られるように祈られた。

 御名の中に、彼らを保ってください 11

 御名の中に保つの二つの意味。

①人生における様々な必要を満たすこと

 不真実と偽りとを私から遠ざけてください。

 貧しさも富も私に与えず、

 ただ、私に定められた分の食物で

 私を養ってください。 箴言30:8

②人生の最後まで信仰が守られ、やがて天国で一つになるまで守られること。

 わたしたちと同様に、彼らが一つになるためです。11

父なる神とキリストが天国で一つになられるように、信仰者も信仰を全うし、天国で一つになれるように祈られた。

 

2、弟子たちが滅びから守られるように祈られた。

 彼らを保ち、また守りました。

 彼らのうちだれも滅びた者はなく、 

 ただ滅びの子が滅びました。

 それは聖書が成就するためです。12

①人生には信仰が揺さぶられる時がある。

だから自分の力に過信した「大丈夫!」は危険である。

それでも「大丈夫!」と言えるのは、キリストのとりなしの祈りのお陰である。

 ルカ22:31、32

②滅びの子とはキリストを裏切ったイスカリオテのユダを指している。

裏切りという人間的に最も恨みを抱きやすい経験に対して、その対処の仕方を学べる。

裏切りでさえ神の許容の中にあり、また神の御心の成就のために用いられることが分かる。

 

3、弟子たちに御言葉を与え悪の世から守られるように祈られた。

 わたしは彼らに御言葉を与えました。

 しかし世は彼らを憎みました。17:14

信仰者がみことばの故に世から憎まれる時があるのを教えられた。

世から憎まれないように世に迎合したり、語るべき時に黙っていたりしてはいけない。

 

 確かに、

 キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。 第2テモテ3:12

兄ちゃんの思い出

「私のお父さん」で少し登場した兄。

ついでだから少し思い出しておこう。

兄とは9才年が離れていた。

6人兄妹といっても女の子が5人。

たった一人の男で跡取りとして大事に扱われて、母や祖母から溺愛されて大きくなった。

終戦の時は17才で、父は兵隊に取られないように手を尽くしていた。

代用教員としてどこかの小学校に勤めていたように記憶する。

と言っても、戦争は激しくなってそのうち徴用されるかも知れない、お別れになるかもしれないと最後の家族の写真を撮ったのがこの写真。

灯火管制の中、夜、写真屋さんが来て家族全員一張羅を着た。

「ハイ撮りますよ」と写真屋さんはマグネシウムフラッシュをぼっと焚いて撮った。

昭和20年3月。

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兄は幸いにも徴用されることなく終戦を迎えた。

 

兄は大学生になって京都に下宿した。

そして我が家に西洋音楽や西洋絵画、映画、新劇など多くの文化を持ち込んだ。

家に有ったSPレコードは全部兄が買って来たもので(カルメン組曲とかアルルの女など)古本屋で買ってきたという美術全集。

文学全集も有った。

兄は大学に在学中に教会に通って洗礼を受けた。

帰郷するたびに、賛美歌や日曜学校の子供相手の楽しいゲームや歌を教えてくれた。

これらの全てに子供だった私は大きく影響を受けてしまったのである。

兄が大好きだったから。

 

その頃からえらく女性にもてた。

兄は女性の中で育っているから女の子のことを良く知っていて、女の子の好きなことも心得ている。

父に似て口がうまい(妹たちには別)。

やがて、お小遣いの使い方も荒くてなって、借金を作って両親を困らせていたことも多かった。

いつもお金が無かった。

 

兄が結婚してから兄の家に行くと「兄ちゃんの服買うてくれるようにお父さんに頼んでくれへんか」と私に言うのだ。

父は厳しかったので自分で言えなかったのだ。

兄嫁も所帯のやりくりは大変だったと思う。

だから、妹に何かを買ってやるとかお小遣いをやるということは言うことは無かった。

最近、思い出話の中でM子姉ちゃんが「むかし、兄ちゃんに心斎橋でピンクのパラソル買うてもろた」と言った。

え~信じられへん。とH子姉ちゃんも私も口を揃えて言った。

本当は買ってやりたいけど、妹に餌は要らないと思ったのかな?

何か買ってもらったことは一つもない。

 

兄の思い出はどうも「悪口の記」になりそうだ。

亡くなった人の悪口は言いたくない。

反論出来へんもの。

私の思い込みだけで「ちゃうちゃう、ほんまはこうやねんで」と兄は言いたいかも知れない。

兄ちゃん、ごめん。

 

つづく。

今日も暑かった

今日も暑い!!

いつまで続くこの暑さ。

 

聖歌隊の賛美があるので9時に教会へ行く。

Mちゃんが今日洗礼を受けるので「信仰の証」を聞いた。

幼い時から知っているMちゃんが立派に大学の先生になって、その上信仰も確立した。

嬉しい日。

 

午後、SAYAKAホールへ「諏訪ノ森ゾリステン」のサマーコンサートを聴きに行く。

メンバーは10人だけど、素晴らしいハーモニーと表現力に感心する。

暑い午後を素敵なコーンサートを聴いて過ごせてよかった。

プログラムは

・林光の「月わたし風」、

・源田俊一郎編曲アメリカホームソングメドレー、

メンデルスゾーンのChritus 1より 

 サムエル・バーバーのアニュス・デイ

 ジョン・ラターのWhat sweeter music

青島広志編曲集4曲。

 

朝早かったし、猛暑だったし少し疲れた。

私のお父さん 旅 続き

その後、私は結婚して家を出た。

ずっと年月が経って、父が年老いてから叙勲で皇居に行くことになって、お付きの役が私に来た。

両親に付き添う筈の長女のC子姉ちゃんが急病で入院するかも知れないので、順番としては兄嫁Kさん、H子姉ちゃん、でも二人とも子供の世話で無理。

一番気楽な私にお鉢が回ってきた。

夫が「何でお前やねん?」と不服そうだったけれど、娘は中学生になっていたし、まあ、両親には夫もお世話になっていたから「あかん」とは言えない。

どこに泊まるのん?と母に聞いたら「大倉屋」というから、老舗旅館かな?と思っていたら、兄が「ホテルオークラや。ええで~」と言ったので「快諾」した。

 

母の着付け、袋帯を結ぶのを手伝うのが主な仕事で、後は病後の父は足が弱っていたのでその補佐。

兄も父の会社の人も大勢いたので私はほんのお付きの役だけで良かった。

その時思ったのは、勲章をくれるのやったらもっと若い時にくれたら良いのに・・・父はもう70代を半分過ぎていてよれよれになっていた。

 

ホテルオークラのレストランで素敵な食事が食べられるわ〜と思ったけれど、高齢の両親との食事は朝昼晩日本料理だった。

お部屋も日本間でお布団を敷いて寝た。

夜、兄がホテルの階上のバーに連れて行ってくれたから一応は満足したけれど。

 

ホテルの売店にファッション誌「vogue」が置いて有った。

兄は「こんな所やないと買われへんで、買うとき」と私に勧めるので買った。

大阪でも売っているやろし、本屋さんで見つけても多分買わへんと思う・・・。

言うとくけど兄が買ってくれたのではない。

だのに「ちょっと兄ちゃんに見せてくれるか」と言って先に熱心にページをめくって楽しんだのである。

あきれるわ。

 

行事が無事に終わって、沢山の人(東京在住の従兄Aちゃんも居た)の見送りを受け

新幹線に乗った。

東京を離れると、駅弁を用意してくれていたので、早速両親とくつろいで食べる。

緊張が解れてほっとして楽しい一時だった。

大阪駅にはC子姉ちゃんの夫K義兄さんが迎えに来てくれて、迎えの車で両親を送った後私を家まで送ってくれて、留守居の夫に礼を述べてくれたのを覚えている。

 

両親を私が独占できたのはこの時だけ。

楽しいお役目の旅行だった。

台風が過ぎ去った

台風が夜の間に過ぎ去った。

庭で誰かが暴れているような音が聞こえるので、猫のクルミが熟睡せず、私も眠りが浅かった。

大した被害がなさそうでほっとする。

私の所は雨が思ったほど降らず、朝から文句を言っていたら家の者に叱られた。

主がお祈りを聞いてくださったのに、そんなことで文句を言ったらあかんと。

感謝のお祈りをする。

 

北海道から2人来客があった。

2人とも大学の先生。

ひとりの方は、昨日台風の中を奇跡的に飛行機で来られたのだった。

 

お話が上手で、分かりやすい説明で流石は大学の先生。

楽しい一時だった。

北海道の戦後の歴史を初めて知る。

台風近づく

午後、台風20号が接近しつつあるのでコーラスの練習はあるのか?と心配しつつ公民館へ行く。

メンバーは殆ど全員出席していた。

コーラスフェスティバルがもうすぐ有るのに、まだ出来ていないのだもの。

 

練習をしていると、3時になって公民館事務所から「お知らせ」の放送があった。

「ただいま、暴風警報が出ましたので皆様お帰りの時は気をつけて下さい」。

 

カーテンを捲って外の様子を伺うとまだ雨も降ってないし、風も大したことなし。

いつもより休憩時間を短縮して15分早く切り上げて終わった。

うちの市は、この前犯人逃亡の時のお知らせが遅れて批判の的になっている。

台風でお知らせが遅れては大変!と早々と教えてくれたのだ。

お知らせありがとう。