鉢植えのペチュニア。
昨日の雨で生き生きしている。
今日したこと。
沢山ある文庫本の整理。
土曜日に合唱祭で歌う曲の楽譜を見る。
明日図書館へ返す予定の本を読む。
全て猫が邪魔をして捗らず。
午後3時。
Nさんが来た。
二人で近くに住むKさんを訪問する。
Kさんは先月97歳の誕生日を迎えた。
さすがに足元が弱って外に出るのが難しくて教会も休んでおられる。
買い物はヘルパーさんに頼んでメモをして買ってきてもらうが、洗濯も掃除もまだ自分でしているそうだ。
おしゃべりのNさんと私がしゃべるのをニコニコ笑って聞きながら、時々口を挟むだけ。
お土産に持って行った柏餅を美味しいわとぺろっと食べた。
「咽せないように気をつけんとね」というと「私は咽せたことないの」と、やっぱり97歳までしゃんと生きている人は違うわ・・・と改めて感動した。
テーブルにグミの枝が生けてあった。
「懐かしいわ、ぐみやん!」と言ったら「食べて・・・」懐かしいグミの渋い味がした。
戦時中食べ物が無いとき、庭に植えてあったグミをおやつ代わりに妹と食べたのを思い出した。
赤く熟したのを口一杯に頬張って、種を飛ばして妹と食べ比べをした懐かしい思い出。
Nさんは「しぶいわ」とたった一つしか食べなかったけれど、この渋い実でも飢えた子供のお腹の足しになったのだった。
それから戦時中の話になって、しゃべること3時間。
Kさんは草臥れはったやろ。
私も喋り過ぎてくたびれたけれど楽しかった。
聖書の動物たち(4)ー犬
現代の犬は世界中で愛玩動物として扱われている。
しかし古代イスラエルではそうではなかった。
羊がイスラエル人の象徴であるのに対し、犬は異邦人の象徴であった。
聖書 マタイ15:21-28
キリストがツロンとシドンという異邦人の町に行かれた時、
すると見よ。
その地方のカナン人の女が出て来て、
主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。
娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。15:22
しかし主の態度は冷たく感じられる。
その1、
わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、
遣わされていません。
と婦人の願いに拒否?24
答え:主イエスがこの地に来られたこと自体が既に異邦人の救いを考えておられる証拠。(ヨハネ4章のサマリヤの女の救いと同じ)
その2、
子供たちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのは良くないことです。26
この言葉には二つの意図がある。
①信仰のチャレンジ
イスラエル人の盲人バルてマイの話でも、叫び求める彼の願いを主は聞き続けておられたけれど、直ぐには癒しをされなかった。
それは却下ではなく「信仰のチャレンジ」であった。
同じ様にこの婦人が「執拗に」求めてくることを知っておられた上で、彼女の信仰が強められるのを願っての当面の却下であった。
②主がどの様なお方かを理解させる。
もし異邦人である婦人の娘を直ぐに癒した場合、聖書の知識もない世界において、キリストを単なる「霊能者」とみなして終わる危険性があった。
そのために聖書にある「イスラエルへの養い」の優先性を示し、ご自分が「救い主」であることを暗に示されたと考える。
だから「却下」でなくてご自分が聖書を預言する救い主であることを示すための言葉であろう。
しかし、彼女は言った。
「主よ、その通りです。
ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」27
イスラエルが優先される救いの順序を良く理解していること、さらにはパン屑を「犬」に与える救い主であることを理解していることを暗示する。
それでキリストは婦人の信仰を賞賛されたのである。
イエスは答えられた。
「女の方。あなたの信仰は立派です。
あなたが願うとおりになるように。」
彼女の娘は、すぐに癒された。28
朝から曇天でふらつき感。
血圧も低い。
ピンクの洋服を着て、ピンクのパラソルで教会へ行く。
今日は受付の奉仕当番。
出会う友達が「素敵な服!」と褒めてくれた^ ^。
古い洋服なんだけれど褒められて良い気分。
ランチで友人といつもの様におしゃべりタイムを過ごす。
話題は色々だが、漫才のネタに使えそうな話を一杯して楽しかった。
何故だか「三島由紀夫」の話題になって、どんな作品があるの?と誰かが聞いたら、文学老女Yさん(ごめん)が「潮騒とか金閣寺とか、なんとかの曳航(帰って調べたら午後の曳航だった)、それから美徳のよろめき・・・」と並べたが・・・。
少し若い世代にはこの「よろめき」の意味がもう一つ通じない。
「美徳のよろめき」と「高齢者のよろめき」はどう違うか。
今日一番のヒットの話題となった。
時計は2時を指した。
Sさんが「コーヒーでも入れます?」と優しく聞いてくださったが、あまりにも厚かましく解散の運びとなる。
雨が降り出した。
今日から6月。
日差しは強いが爽やかな過ごしやすい日だった。
午前中にMさんが来て印鑑押しとサインの仕事をする。
彼の子供は生まれて1年半。
スマホの写真を見せてくれた。カラフルな洗濯バサミをくっつけたネックレスをしている。こんな小さな時から女の子はおしゃれをするのだ。
午後はコーラスの練習に母校の同窓会館へ行く。
4年先輩のSさんが石碑に花を手向けておられた。
1945年6月1日。
運動場の防空壕に避難していて爆撃に逢って亡くなられた友人2人と職員1人。
女学校1年生の時だった。
今の中学校1年生に当たる。
「ええ子やってんよ。なんでええ子が殺されるのやろう?此間殺された女の子もええ子やんか〜。私も同じ防空壕に入っていたのに殺されずに何でまだ生きているのやろう?」
「神様が天国ではまだ必要ないからもうちょっと遊んでいなさいって言うたはるのかな?」
「きっとそうやわ。
しっかりコーラスの練習彼女の分もしなさいって」。
同窓会館前の紫陽花。
今年も咲いたアロエの花。
理想的な爽やかな5月晴れ。
公民館まで歩くが汗も出ず、気持ちが良いことこの上なし。
50周年演奏会のステージ衣装を決定。
お揃いの服は4種類あって、その中から2着選ぶ。
20年前に買ったビーズの刺繍の白いブラウスと白いスカート。
10年前に買ったクリーム色のシフォンジョーゼットのブラウスに黒のベルベットのスカートに決定。
9月の合唱フェスティバルにはいつものグリーンのドレスを着ることになった。
「もう飽きたわ〜」とKちゃん。
15年前に買ってから何回ステージで着たか。
着るのが簡単で皆好きなのだ。
もう一つ選択技があって、それは新調することだけれど。
2万円程かかるし、誰もその案は出さない。
古いものを大切に着る・・・私たちの合唱団の美点だわ。
そこで私が提案することは。
「夏の間にダイエットして体をドレスに合わすこと」
誰も賛成と言わないのが不思議。