a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

よしのさんのこと 続き

a-doll2008-04-30

私が産まれたとき、よしのさんは既に72才だった。
記憶に有るよしのさんは、背中が丸い、歯抜けのお婆さんだったから、75才位で背中は曲がっていたと思う。
でも力は強かったから、勉強をしているとき良く肩を揉んでくれたけれど大きな力強い手だった。
ある日、例によって母と諍いをし家出をしたよしのさん。
家出して行く先は父の会社(その頃はまだ商店だったが)に泊まっていたのだと思う。或る日けろっとした顔で戻って来た。「お祖母さん帰って来はったよ〜」と迎えに出ると、背中に背負って来た大きな風呂敷包みを玄関にドサッと降ろして、開けるとピカピカ光る立派ななすびが沢山入っていて、それがお土産なのだった。
家出した手前、ただいまと帰るのが体裁悪かったのだろうか。食糧難の折から家族が喜ぶ野菜をどこかで調達して持って帰って来たのだった。
ところで、よしのさんは普段何をして過ごしていたのだろうか。
お台所仕事は母とお手伝いさんがやっていた。よしのさんが台所で働いている姿は見たことが無い。お料理は好きではなかった様だ。
学校へ持って行く雑巾は縫ってくれたけれど、着物を縫っている姿は記憶に無いし、M子姉の様にピアノを弾いたり歌を歌うことも無かったし・・・。
ただ、母の変わりに得意先の招待旅行には楽しそうに行ったりしていた様だ。余り家庭的な女では無かったのかも知れない。
晩年の記憶に面白いエピソードがある。
H子姉と世話をして居た鶏。よしのさんは近所へ遊びに行くのに、卵を手土産にしようと鶏小屋に入ったら、掛けがねが掛かってしまって閉じ込められてしまった。
母が叫び声に気付き行くと、鶏小屋の中に卵を両手に持って半泣きのよしのさんが居たのだ。
叱られたのは言うまでもない。
「子供に食べささなあかんのに、よそさんへ上げることはなりません。罰が当たったんです!」近所の友達にええ恰好がしたかっただけのよしのさんなのだった。
学校から「ただいま」と家に帰ると母も姉達も誰も居ないシンと静まり返った家の中。でもよしのさんだけはどんな時でも離れの部屋に座っていて「おかえり」と言ってくれたのだ。留守居役として大いに役立っていたのである。
写真は今年も沢山咲いた可憐な鈴蘭、優しい香り。