a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

老4姉妹の集い、昨日の続き

昨日新しく明かされた真実とは。
私たちは3才ずつ年の差がある姉妹なので、私が子供だったので知らなかったことも有る。
昭和4〜50年代は、今のようにお中元お歳暮を宅配などで送りつけるのではなく、衣服を正して直接家に行って品物を渡して挨拶をした。受けとる方も「おため」なるお返し?をちゃんと準備してあった。
私の覚えているのでは缶入り味の素に、のし紙を付けて押し入れに用意してあった。
来る人は使用人の妻とか父に世話になっている人々だった。
そんな中に印象に残る女性が居て「おまさはん」という人だったが(それも昨日M子姉に聞いた)行儀を知らない人で、玄関の戸をガラリと開けるや否や「おえちゃん!わてだんねん!」と大声で叫ぶ。
あの頃普通なら「ごめんやす、だれそれでござりますが」と言って入って来たものだ。
だから、私たちはおえちゃん!と叫ぶ彼女のことを、陰でおえちゃんと呼んでいた。
また、おえちゃん来はったで〜って感じで。
よく考えるとおえちゃんと言うのは私たちの母の呼び名である。おまさはんは親戚の人で、いつも困っていてお金を借りに来ていたというのだ。「挨拶になんか来たはったんとちゃう」M子姉は断定した。「行儀の悪い人やねん、お母ちゃん嫌がったはったんやで〜知らんかったん?」ほえ〜〜〜。

また過去を美化して、というのは、これもM子姉。私たちの母方の祖母(よしのさん)は紀州の根来の出身だ。1864年生まれ。由緒有る家に14才でお嫁に行ったが、堅苦しさに辛抱出来ず家出をして実家へも戻れず大阪まで来たという過去があった。
優しいお祖母ちゃんだったが結構わがままな人だった。M子姉は良く似た性格で衝突して派手なけんかをしていた。
ところが、昨日はお祖母ちゃんの思い出を話し、仲良かった・・・と言うではないか。
残りの妹たちは唖然としてしまったが、だれも否定せず、逆らわず聞いていた。
昔から何度も聞いている話だが、年を取るにつれ変化し、美化されて事実と異なってくる。
M子姉が奏でるリストの愛の夢を聞いて、アメリカ兵が入って来た話とかも、その他あれもこれも。
聞いている方も、そうだったかも知れないと思ってしまう。
M子姉はもうすぐ83才。最近よしのさんに似て来た。よしのさんも若い頃可愛いかったのだろう。92才まで長生きしたからM子姉もきっとまだまだ元気で頑張れるぞ。
姪のY子ちゃんは、辛辣な語り口で有名。
M子姉が次々話題を自分中心に持って来て話し始めるので「ほら、また、話題変わった」と恐れを知らず指摘するので、可笑しくて可笑しくて涙が出たのだった。
楽しかった昨日の姉妹の集い。