a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「神をも動かすもの」

創世記18:20〜33
恩を仇で返した甥のロト。主が、ロトが住むソドム(いかがわしい町)を滅ぼそうとされているので、アブラハムはロトのために、とりなしの祈(自分のためで無く、人のために祈ること)をする所である。
アブラハムは、以前神から離れてエジプトに下ったとき、自己中心的考えから妻サラを裏切った苦い経験がある。
そこで、最終ゴールは愛だと気が付いたのである。
価値観が変わったアブラハムは、神に直談判で甥のために必死で祈った。
ここで云える事は、
1、とりなしの祈りは途中で止めず最後までやること。
アブラハムは「ソドムのまちに正直者が50人居れば、その者のために町を滅ぼす事を許して下さいますか」と主に聞いた。主は「50人見つかったら、その町を許そう」と仰せになった。アブラハムはなおも「5人不足していて45人おれば・・・40人おれば、30人居れば・・・正直者が10人居れば」としつこく粘り、そこで終ってしまったが、実際正直者はロトとその家族のたった4人しかいなかったのである。
2、とりなしの祈りは祝福される。御使いが来て、ロトの家族を連れ出して逃がしてくれた後、町々を滅ぼされた。19:15
3、祈った事に対して祝福を与えられる。
 幸いなことよ。
 弱っている者に心を配る人は。
 主はそのわざわいの日にその人を助け出される。詩編41:1〜2
神を動かすものは、愛から生まれたとりなしの祈りである。