エレミヤ52:31〜32
「エレミヤ書 最終章が語るもの」
1、2人の対照的な王セデキヤとエホヤキンの晩年について。
セデキヤの末路はひどいものであった。反抗的だったセデキヤは主の怒りによってみ前から投げ捨てられた。
捕らえられ、目をつぶされ、青銅の足かせにつながれた。バビロンで死ぬまで獄屋に入れておかれた。52:10〜11
一方エホアキンは、捕らえられバビロンに移されたが、37年目にバビロンの王は彼を釈放し、獄屋から出し、囚人の服を着替え生涯王の前で食事をした。
破格の待遇をうけた。
2、み言葉に従う安心。
バビロンに捕らえられたことは屈辱的に見えるが、神のみ言葉に従った上の決意であった。
3、最終的に支配するのは誰か。
自分の国は無い。捕らえられている。外国で良い待遇を受けてもうれしい筈は無い。
しかし、神故に強いられた生活に従った。
聖書の中にある例として、
サラは夫アブラハムに「妹だと言え」と知恵を授けられ従った。創世記12:12〜13
ヨセフとマリアには理不尽な移動命令だったが、従った結果最終守られていた。クリスマス。
自分の意に反して動かされること、世の中の権力や問題があっても主に従うことである。
並みいるバビロンの王の中でエホヤキンだけが、エレミヤから聞いた主のみ言葉に従った結果であった。