a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

日曜礼拝メッセージより

「負けられません最後まで」
マルコ9:30-35
誰にもある競争心嫉妬心ついて学ぶ。
1、弟子たちの議論 は何か
彼らの議論は一般論でなく、仲間の中で誰が一番イエスさまに近いか、誰が良い位につくか議論をしている。
他の箇所でもイエスさまが十字架の話をされると、この議論になる。最後の晩餐でも席順を争っている。
カペナウムに着いた。イエスは、家に入った後、弟子たちに質問された。
「道で何を論じ合っていたのですか。」33
彼らは黙っていた。道々、だれが一番偉いかと論じ合っていたからである。34
誰がこの中で1番偉いか?グループ内で競争する。
創世記カインとアベルから続く競争心。
足の引っ張り合い。誰かが特別扱いされると… 妬む。
弟子たちの議論の中身は昔も今も変らぬ人間の姿である。

2、キリストの答えは
イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」35
リーダーになりたい、出世したい心は悪では無い。
真のリーダーは仕える者(目線を力のない人に合わす)謙遜である。

3、何が大事か
①十字架の信仰を中心に置く
「人の子は人々の手に引き渡され、彼らはこれを殺す。しかし、殺されて、三日の後に、人の子はよみがえる」と話しておられたからである。31
弟子たちはイエスのおっしゃった事はちんぷんかんぷん。何もわかっていない。
どうしようもない罪を負って身代わりとなって死んで下さる十字架の事を。
②上から特別扱いを受けている
知れ。主は、
ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。詩篇4:3
だから人に特別扱いを求める必要は無い。
③人間は単独で人格の成長はない
チームがいる。1人では完成はありえない
キリストの一部である。仲間はライバルでなくチームである。他者を必要とする。すべての人が人間を完成させてくれる土台となる。
3月は受難週のある月。十字架を想うときである。