a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

教会で敬老祝福の祈り

70歳以上の人が一人づつ紹介されて拍手を受けた。
私は高齢の順で6番目。後にはたくさん続く。
でも、何と言ってもK家さんが93歳でニコニコとされてお元気なので、私などは高齢者のヒヨコなのである。
中西牧師先生がとりなしの祈りをされた。
CSの可愛い子供達にプレゼントを手渡される。
美しいみ言葉入りのカレンダーをいただく。感謝。

今日はちょっと嬉しいことがあった。
この所、ぼーっとしていたから、雨の日にどこかへ愛用の傘を置き忘れてしまっていた。
それも置き忘れたことさえ忘れていて、木曜日に出かける時、傘立てに無いのでやっと気付いたのだった。ショックだった。
1週間前スーパーで、カートに傘を刺したことは覚えているのだが、抜いた記憶は無い。帰り傘を差さなくても良かったから。
1週間以上経っているので多分無いだろうと諦めていたが、今日ふと受付カウンターの向こうに傘が私を待っているような気がして、顔見知りの店員さんに尋ねて見たら「何色です?」「オレンジとピンクが互い違いに・・」「これですか?」有った!!
善意の人がわが町には大勢住んでいることがわかって嬉しかった。

可愛い傘や

*礼拝メッセージより
「夕があり朝がある」
創世記1:5
250年前キャプテンクックはオーストラリアに上陸して、不思議な動物をみて、聞いた。
なんという名前ですか?その人は「カンガルー」と答えた。
カンガルーの名は世界に広がったが、アボリジニの言葉で「カンガルー」=「わしゃ知らん」という言葉なのだった。
感違いをしたのだった。

 夕があり、朝があった
1、神にあっては人生の夕闇にも希望がある。
人間の営みに夕闇がせまるとき憂いがあっても朝の希望がある。
 夕暮れには涙が宿っても、
 朝明には喜びの叫びがある。詩篇30:5
太宰治は聖書をよく読んだ人。優(ゆう)という字は人偏に憂、真に優しい人は憂を経験している。といった。
 彼らは涙の谷を過ぎるときも、
 そこを泉のわく所とします。詩篇84:6

2、死という人生の夕闇にも朝がある。
ひたひたと迫ってくる死。
立派な人でも次の歌のような心境になるようだ。
 良寛さんのうた:「今よりは何にか頼まん方もなし、教えて給え後の世の事」
 哲学者田辺元氏のうた:「命かけて勉れど尚解きがたき問題持ちて我死にゆくか」
逆転の人生がある。夕が朝になる。
ヨハネ6:39−40
主は断言なさっている。そのまま受け入れるとこと。


3、闇の中で光を見出す道
暗い部屋に入ってスイッチを入れるとすぐ部屋は明るくなる。
闇を消そうともがかないで光を投ずればたちまち闇は消え去る。
キリストは言われた「わたしは世の光です。わたしに従ってくる者は決して闇の中を歩むことがなく命の光を持つのです」ヨハネ8:12)