a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

八福の教え(2)悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから

もう1週間になるのに目眩が治らない。
娘に駅前の耳鼻科に連れてもらう。
検査もいろいろしてもらう。高音が聞こえにくいが普通に聞こえているそうでほっとする。
持病だから心配はしていないが、何も出来ないのでいらつく。
心配ないと先生はおっしゃった。そのうち治ります、と。飲み薬も出してもらう。
不便なのは目薬を注すときと粉薬を飲むとき。いちいちベッドに仰向けにならんとあかん。面倒くさい。
映画「おやすみなさいを言いたくて」のジュリエット・ピノシエが薬を飲む場面が数回ある。錠剤なのに彼女は首をコクンと後ろへ倒して飲む。
私は思わず「目回れへんのん?」と突っ込みを入れてしまった。

  
八福の教え(2)

悲しみに関する教え
「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから」
なぜ悲しむ者が幸いと言われるのか?その意味や理由を考える。

聖書 マタイ5:4

1、悲しみを経験するとき、人の情けをしみじみ感じることができる。

悲しみのとき、心ある人からの真の優しい言葉と態度を通して、人は深い慰めを得ることができる。

順境にある間は物事の表面しか知ることが出来ない。

悲しみに会って人は深められ、人生は開花する。

「人間が円熟し開花されるためには、第一に苦しみや悲しみに会うことである。悲しみをたあしい態度で受けとめるなら、新しい力と美しさがその人の心に加えられる」

(人生をかえるものポール・トゥルニエ




2、悲しむ人のために自分も悲しむ人は幸いである

キリストは「悲しみの人で病を知っていた」イザヤ53:3

なぜキリストは当時見下されていた人たちや、罪と弱さで立ち上がれない人たちから「心の友」とされたか?

それはキリストご自身が「悲しみの人で病を知っていた」からだと言えるだろう。

 喜ぶ者といっしょに喜び、

 泣く者といっしょに泣きなさい。 ローマ12:15




3、自分の罪に悲しむ者は幸いです

人生の不幸に泣く人は多い。

しかし自分の罪に泣く人はどれ程だろうか。

御言葉や人生の経験を通して自分の罪と弱さに悲しむとき、

人は神を知り、救いに預かり、神から慰めを得るのである。

 幸いなことよ。

 そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。

 幸いなことよ。

 主が、咎をお認めにならない人、

 その霊に欺きのない人は。  詩篇32:1、2