a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

ヨブ記(9)

運動のためにスーパーへ買い物に行く。

例によって大きなサングラスをかけてマスクをして毛糸の帽子を被っていたら、誰も気がつかない。

仲良しのKさんがすれ違ったので声をかけたら「わっ!誰かと思った」と本当にびっくりしていた。人を驚かせるのは良くないかな?

 

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ヨブ記(9)

婦人聖書のつどいより。

ヨブの3人目の友人、ツォファルについて。

彼もまた間違った考えを持っている。

 

聖書 ヨブ記11:1-6

 

 知れ。神はあなたのために、あなたの罪を忘れてくださることを。

 

この言葉は表面的には正しく見えるが、罪のゆえに現在の苦難があるのではないヨブに、

「神はあなたの罪を忘れてくださる」と語るのは、ヨブに罪があると勝手に決め込んだ間違った「思い込み」でしかない。

この「思い込み」というものを聖書は教えてくれる。

 

1、神に対する正しくない「思い込み」

マタイ25:24-26

1タラントを任されたしもべの主人(神)に対する考えの中に見られる思い込み。

このしもべは、主人という方を「蒔かないところから刈り取り、散らさないところから集めるひどい方

と勝手に間違った思い方をして生きている。

私たちはどうだろう?

例:神を敬う理由は?

①ちゃんとしないと怖いから

②後でお願い要求したいから

③感謝と愛から

 

2、人に対する正しくない思い込み

第2コリント6:12

自分は窮屈だと思う意識はどこから来るのか、反省してみる必要がある。

物理的に窮屈にされている場合もあるが、時にあの問題、この人によって窮屈にされていると思いがちだが、人によって同じ問題でも全く意に介さない場合もある。

聖書は「自分の心で自分を窮屈にしている」と語っている。

 

3、自分に対する正しくない思い込み

信仰を持つ以前の自分に関する評価は「他人による評価」が殆どで、それで安心したり落ち込んだりしたが、創造者を知る時、自分を正しく愛し受け入れて下さるのは主であることを知る。

 

 私をさばく方は主です。3 第1コリント4:3-5

 

 主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、

 その愛によって安らぎを与える。

 主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。  ゼパニヤ3:17