朝から雨が降っていた。
夜は充分寝たのに朝寝坊をした。
昼食後、また眠くなって昼寝。まだ雨が降っている。
猫のくるみは私が起きた後もまだ寝つづけている。
今日は殆ど一日中寝ているのじゃないかなあ。
主の祈り(2)
金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
聖書 マタイ6:9 天にいます私たちの父よ
1、誰に祈るのか
日本には「鰯の頭も信心から」という諺があるように、誰を祀っているかも知らずにだだ手を合わす。
唯信じる心が大事というわけだけれど、誰に祈るかは大切なことである。
キリストは誰に祈るのかを一番最初に教えられた。
天にいます私たちの父よ。
2、天にいます神
神はどこにおられるか?答えは天である。
「天」とはどういう意味だろう?
星の彼方か?
かつてガガーリン宇宙飛行士(旧ソ連)は「宇宙に神はいなかった」と言ったがそれは天を場所的な空間と考えるからである。
聖書が教える「天」は、
①場所的などこかではなく、霊的な世界である。
昇天者が天国で満杯で入りきれないことはない。
それは霊的な世界であるから。
②地上の全てを正しく判断し、やがて裁かれる神がおられる世界の意味。
地上の世界しかないなら、この世はまことに理不尽な世界である。
主は天から人の子を見おろして、
神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかご覧になった。 詩篇14:2
3、私たちの父よ
①「父」とは神と人間の関係を明確に表した言葉である。
神は人間が作り上げた存在ではなく、私たちの創造者である。
②「父」と呼ぶ限り、神は唯一人である。
自分の父は唯ひとりしかいないからである。
わたしが主である。ほかにはいない。
わたしのほかに神はいない。
あなたはわたしを知らないが、
わたしはあなたに力を帯びさせる。 イザヤ45:5
③「私たちの父」
私たちという複数で表現される。
祈りは一人ではなく、自分が何もわからない赤ちゃんの時も「神などいない」と反抗していた時も、朝夕どこかで誰かが私のために祈ってくれていた。
彼はいつも、あなたがたが完全なひととなり、
また神のすべてのみこころを十分に確信して立つことができるよう、
あなたがたのために祈りに励んでいます。 コロサイ4:12