室外機の上でママの庭掃除を眺めるクルミ。
紅葉が少しづつ散るので毎日お掃除が大変だ〜
風が吹くと全部散ってしまうだろう。
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安らぎのある生活 (11)
金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
生活、暮らしにおいて「平安を得る道」について聖書が教える事。
聖書 1テモテ2:1-5
1、「平安で静かな一生」に必要なことは
①「国政を預かる指導者のためのとりなしの祈り」にある。
王とすべての高い地位にある人たちのために願い、
祈り、とりなし、感謝が捧げられるようにしなさい。1
それは、私たちが敬虔に、また、威厳を持って、
平安で静かな一生を過ごすためです。2
彼らのために祈る事が「平安な静かな一生」を送る全ての秘訣では無いかもしれないが、これは国の平和に繋がり、ひいては私たち自身の生活の平安につながる事だと教えている。
②日本のクリスチャンは今まで国に対し批判的な態度が多かったのでは無いだろうか。
第二次大戦で「日本は神国である」とか東南アジアへの侵略に対して教会が戦勝祈願に走った妥協的態度の反省から、国に迎合してはならないという批判的な態度をとることが多いように思われる。
③テモテの手紙が書かれた時代は、ローマ帝国の支配の中にあった時代であり、信仰者に対し迫害が厳しかった。
しかし聖書は「王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝が捧げられるように」と勧めている。
いたずらに批判的であったり、逆に迎合したりするのではなく、感謝すべきことは感謝し、「彼らが神の御心を行えるように」とりなしの祈りをすべきである。
そうすることは、
私たちの救い主である神の御前に置いて良いことであり、
それは喜ばれることなのです。3
2、とりなしの祈りの適用
神は、すべての人が救われて、
真理を知るようになるのを望んでおられます。4
①とりなしの祈りは国政を預かる人のためのみならず、全ての人のために捧げるべきクリスチャンの務めである。
特に第一に救いのために祈るべきである。
②とりなしの祈りはキリストの中に見られる行為である。
神は、全ての人が救われて、
真理を知るようになるのを望んでおられます。5→
ご自分によって神に近づく人々を、
完全に救うことがおできになります。
キリストはいつも生きていて、
彼らのために、
とりなしをしておられるからです。ヘブル7:25