a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

お金のかかるお免状

今日も暖かくて気持ち悪い。

近所の「歌の会」の忘年会に参加する。

忘年会シーズンの始まり。

 

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わが母の記」4 つづき

 

私の日常はそんな訳で結構忙しかった。

毎週行かなくてはならないのは「お茶とお花」。四ツ橋にある先生のお宅へ休まずに通った。

先生が生花の用意をしてくださっているから休むと迷惑をかける。

お茶のお点前の稽古をしてから、隣の部屋で花を生ける。

生けた花は持ち帰って家の床の間に活けた。

くたびれて、持って帰ったお花をバケツに突っ込んで次の日まで放っておくのが常で、母に「ええ加減お花を活けなはれや」と叱られていた。

 

お茶はある程度上達するとお免状を頂ける。

お免状を頂くにはお金が要った。

私は所得がゼロだから全部父が払っていた。

お花のお免状も「師範」の免許皆伝の時は、家元の家に訪問着を着て先生と何人か一緒に行って仰々しくお免状を頂いた。

日本舞踊は「名取」という形で家元に免状と名前を彫った木の札とお扇子を貰って杯ごとが有った。

おさらい会に名取の披露として「鏡獅子」を踊って、名前を染め抜いた手ぬぐいを染めてもらって配った。

これは母の必死の思い入れだ。親孝行だと思って頑張った。

書道のお稽古では「風炉先屏風」を作ってもらった。

小さな小さな色紙に仮名を書いたのを屏風に散らして誂えた。

同じ様に桐の免状箱も誂えた。

 

嫁入り道具の中に「免状箱」という箱が有る。

塗りで紋入り。

中に免状を入れて、それが嫁入り荷物の中でも大きな価値が有った。

何しろ、お金が掛かっているのだから・・・。

料理教室の卒業免状。

洋裁学校の卒業免状。

成績が良くても悪くても卒業できてお免状が貰えた。

全部嫁入り荷物のためだった。

 

そんな訳で私の日常は多忙だった。

お稽古の合間に映画を観に行ったり、芝居を観たり・・・。

「お茶会」とか「作品展」とか「おさらい会」とか有ってこれも忙しい。

 

家事手伝いをしている時間は無かったに等しい。

 

そんな日常の中で、母から指令が出る。

「*子ちゃん所へ手伝いに行け」これはお嫁に行った姉達の赤ちゃんのベビーシッターだったり、病気になったからとか、転勤になって引っ越しとか、手伝いが要るときの助っ人だった。

姉たちは子育て中だったし、核家族で人手が必要となると駆り出されたのである。

「**のお稽古日やから・・・」と断ったりせずに堂々とお稽古をサボって母の指令に従った。

お陰で赤ちゃんの扱い方やミルクの飲ませ方など習得できたのだった。

お金のかかるお稽古ごとよりこちらの方がずっと役立ったと言える。

 

学校時代の友達は、もっと勉強をしたい子は大学に行き(まだ少数だった)、私の様に家事手伝い花嫁修行というのも多くあったけれど、多くは銀行や商社にお勤めに行った。

その中でお婿さんを見つけるためでも有った。

うちの親は、とにかくきちんとした家へお嫁に出す方針だったから、自分で結婚相手を探すことは以ての外。

1959年(昭和34年)私は親の言う通りに、大層な荷物と共にきちんとした家に嫁入りした筈だったが・・・。

 

まだつづく