今日は太陽が久しぶりに照った。
何の予定もない日はすることがいっぱい有る。
映画も観たいし。
聖書の勉強も。
* * * * * * * *
今日の動物は「だちょう」。鳥の仲間だが飛べない。
図体が大きすぎるからである。
ドラム缶のような体、足と首がとても長く、顔はどんぐり眼でアヒルの様な口。
お世辞にも綺麗な鳥類と言えない。
聖書はどう語っているだろうか。
聖書 ヨブ記39:13-18
だちょうは翼を誇らしげに羽ばたかせるが、
その羽根はこうのとりの羽毛のようだろうか。
だちょうは卵を地面に置き去りにし、
これを砂の上で温まるに任せ、
自分の足がそれをつぶすかもしれないことを
忘れている。
野の獣がふみつけるかもしれないことも。
だちょうは自分の子を、
自分のものでないかのように荒く扱い、
その産みの苦しみが、
無駄になることも全く気にしない。
神がこれに知恵を忘れさせ、
これに悟りを授けなかったからだ。
それが高く飛び跳ねるとき、
馬とその乗り手をあざ笑う。
1、だちょうの特徴
体長25メートル。体重135キログラム。鳥類の中では最大。
「翼を誇らしげにはばたく」は雌を得るためのステップダンスの姿である。
羽は体を持ち上げるには小さすぎるが、代わりに強い脚をもち、つま先に鋭い2本の爪があり、これで蹴られると中型動物なら一蹴りで引き裂かれてしまう。
歩幅は 50~60センチだが、走り出すと3.5~4.5メートルになって時速90km。「馬とその乗り手をあざ笑う」のも納得出来る。(馬は時速60km)
2、だちょうの物忘れと無慈悲
動物には母性があり、産んだ卵をしっかり守るものだが、だちょうは「卵を地面に置き去りにする」
だちょうの卵は16×12センチの大きな卵(1.5kg)を産卵期に一日おきに30~40個を土の中に産み砂で覆うが余りにも個数が多いのでどこに産んだか忘れてしまい「足でふみつぶしてしまう」ことがあるようだ。
この姿を民の姿と重ね合わせて「無慈悲」であると語っている。
ジャッカルさえも乳房をふくませて、
その子の乳を飲ませる。
しかし、娘である私の民は、
荒野のだちょうのように無慈悲となった。 哀歌4:3
3、だちょうも神をあがめる
そんな「物忘れ」と「無慈悲」のだちょうであるが、神を崇める時があると言及されている。
野の獣、ジャッカルや、だちょうも、
わたしをあがめる。
わたしが荒野に水を、
荒地に川を流れさせ、
わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。 イザヤ43:20
人間も同様である。