台風一過。
我が家では風は全く吹かず、雨がかなり夜中に降った様子だった。
私は例によって熟睡して全く知らなかったけれど、朝、側溝に落ち葉が山と詰まっていたので大雨だったと知る。
74年前、戦争が終わった翌日からしたことは、窓ガラスに「ペケポン」に貼ってある細い紙を剥がすことだった。
爆撃の衝撃でガラスが飛び散らないように家中細く切った紙を対角線に十字に貼った。どこの家でもやっていた。
もちろん、電灯にかぶせてあった黒い布も外した。
それからモンペは履かなくてもスカートで良くなった。
暑い盛りの季節、絣地で作ったモンペは暑かったのだ。
食料は益々無くなり、飢えていたけれど自由が嬉しかった。
裏庭のイチジクやグミがおやつになったのはこの頃。
サツマイモのつる迄食べたり、イナゴやタニシを食べたりしたのもこの頃。
父が裏庭を耕して植えたサツマイモや茄子やトマトや枝豆。
これらが栄養失調から救ってくれたのだった。
毎年ブログに同じことを書いているような気がする。
つい思い出して書いてしまうのを我ながらしつこい性格やな、と呆れている。
今日、読んでいる小説に偶然こんな言葉があった。
「同じことを書いててマンネリやわ、と娘は批評するのですけど、『あのひと』はマンネリではない。
繰り返しは一つの大きな力だ、というんです。
繰り返して書いて、念を押さなきゃ、いけないって。」
田辺聖子著「おかあさん疲れたよ」から。
幼かった私の経験なんて大したことないけれど、ひどい目に遭った人に比べたらどうってことはないのだけど、
それでも戦争で辛い思いを経験したことは、生きている限り毎夏書くことになるだろう。