敬老の日の休日。
午前中、汗をかいてせっせと掃除をした。
掃除は好きな家事労働なのである。
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金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより
聖書の植物(2)ー苦菜
聖書 出エジプト記12:8
そして、その夜、その肉を食べる。
それを火で焼いて、種なしパンと苦菜を添えて食べなければならない。
「苦菜」とは苦チシャ
ウィキペディアによる
1、苦菜はエジプトにおける苦難の生活の象徴であった
エジプト脱出の前夜、神が「食せよ」と命じられた食べ物が記されている。
①「傷のない1歳の雄の羊」5、
その血を二本の門柱と鴨居に塗る 7
ーー血がつけられた家は神の裁きが「過ぎ越し」、住人は死から守られる。 13
この「羊」と「血」は後に十字架に付けられたキリストとその血を予表する。
神の裁きから守るのはキリストとその血しかないーー
②「種を入れないパン」8
ーエジプト脱出は、パンを焼くのにイーストを入れて発酵させる時間的余裕がないー
③「苦菜」8
エジプトでの400年にわたる長い奴隷生活(使徒7:6)の苦難を忘れないための食事。
2、苦菜は苦難が終わりであることを意味する
それを朝まで残しておいてはならない。 10 とある。
これは勿体ないから全部食べよ、という意味ではなく、苦菜で象徴される苦難の日々も今日で終わりであることを示している。
苦菜が苦手な人は火で焼いてでも終わりとせよ、と教えられている。
3、苦難はなぜあるのか
ユダヤ民族ほど苦難にあった民族は他にないだろう。
4千年の歴史の中で他国に捕虜とされていた時代が2300年。
さらにユダヤ人という名だけで人種差別と虐殺を受けてきた。
なぜ神の民がこんなに苦難に遭うのか。
ひいてはなぜ信仰者が苦難に遭うのか?
これは深い課題である。
日本の宗教では苦難に遭わないように、と祈りがなされる。
しかし、人生のゴールは信仰者が成長することであり、苦難に遭わないことではない。
試練は成長のために通らねばならないプロセスなのだ。
喜びも悲しみも病も健康も神の計画の中で「成長」をゴールとしたプロセスなのである。