a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

聖書の植物(5)ー「無花果」

秋風が心地よい。

歩いて教会に行く。

 

礼拝の後、久しぶりに友達6人でランチをし(ご飯と具沢山の豚汁、ご飯には紅ショウガと黄色いおこうこが刻んだのがのっていた)。

今日もかっての文学少女たちの文学談義に花が咲く。

良い友達をもって幸せである。

 

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聖書の植物(5)ー「無花果

 

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより

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うちのいちじく。

熟したら殆どカラスに食べられてしまったけど・・・(ー ー;)

 

無花果は地中海及び中東の亜熱帯地域における代表的な植物である。

歴史的に大変古く、創世記3章にアダムとエバ無花果の葉を綴り合わせて裸を覆ったことが記されているほどである。

今日は、キリストが一見不可解と思われる話(実のない無花果の木を枯れさせた話)から学ぶ。

 

マルコ11:12-14

 彼らがベタニヤを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。

 葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、

 それに何かありはしないかと見に行かれたが、

 そこに来ると、葉のほかに何もないのに気づかれた。

 いちじくのなる季節ではなかったからである。

 イエスは、その木に向かって言われた。

 「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」

 弟子たちはこれを聞いていた。

 

1、実のなる季節ではないのに実を探すのは無意味ではないか

イスラエル無花果は亜熱帯気候の中で1年に2度実をつける。

多くの実のなる季節は夏だが、春にも実をつけるのもある。

背景は過越の祭りの時期であるから、春先の早生の無花果ということになる。

この種の無花果は、まず芽を出した後実が出来る、と同時に葉が茂り出す。

キリストはこの時期に「葉が茂っている無花果」をご覧になったとき、

いわゆる夏の「実なる季節ではない」ことを良くご存知であったのに、春先の早生の実を探された。

 

2、無花果を枯らすのは酷いではないか

①「葉の他は何もなかった」ことから、この無花果は早生でもなく、実をつけない無花果である。

こうなるとこの無花果は果物ではなくただの木でしかない。

こうゆう実のならない道端にある木は切り倒されても良いと教えられている。

  申命記20:19、20

②切り倒してでも教えようとされた意味は何か

これはイスラエルの姿を示す教育であった。

無花果は国の木として民を象徴している。

 主は彼らのぶどうの木と、

 いちじくの木を打ち、

 彼らの国の木を砕かれた。  詩篇105:33

これを理解するとき、葉だけが茂り実を結ばない無花果は、繁栄だけを求め神への生きた信仰という霊的な実を結んでいないイスラエルの国家や民の姿と重なっている。

そのことへの叱責である。

③それを思えばナタナエルが無花果の木下で敬虔に祈る姿に真のイスラエルのあるべき姿を賞賛されたキリストの言葉が理解できるだろう。

 エスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、

 彼について言われた。

 「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。

 彼のうちには偽りがない。」

 ナタナエルはイエスに言った。

 「どうして私をご存知なのですか。」

 イエスは言われた。

 「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、

 あなたがいちじくの木下にいるのを見たのです。」 ヨハネ1:47-50