a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

アブラハムの生涯(10)ー「罪の再発」

 

明け方雷に起こされる。

と言うより、猫が「大きな音 怖い!」と私を起こしたのだ。

時計を見ると4時半。

寝ぼけ眼でパソコンの電源を切った。

パソコンに雷が落ちて壊れたら嫌だから・・・。

再び夢の中。

 

一日中雨が降っていた。

私は今日も家に閉じ込められて・・・m(_ _)m

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

アブラハムの生涯(10)ー「罪の再発」

 

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の会より

 

信仰の父と言われたアブラハムでも、罪というやっかいなものと付きあわわないとならない。

しかも同じことを繰り返す。

繰り返すのはそれなりの言い訳が有ってのことだが。

 

聖書 創世記20:1-18

 

1、罪の再発

火山の大爆発ののち、アブラハムは約束の地カナンから南のゲラルに下る。

その地の王アビメレクに妻サラを「妹」だと言い、

自分は助かったが、サラは王に召し上げられてしまう。

妻を窮地に追いやり周りに大きな迷惑と傷を負わせる。

彼はエジプトでも同じことをした。2度も・・・。

一体なぜだ。

 

2、原因

アブラハムは土地に執着しない性質だったし、ロト家族のためにとりなす愛に満ちた人物である。

しかし、この自己中心の性質の再燃!

なぜ同じ罪を犯してしまうのか?

 

※それはどこかに自分の「言い訳」を持っているからである。

今回はエジプトで言わなかった弁明がされている→「腹違いの兄妹」だと。

事実であっても、それを語る動機は自分が殺されないためで、11

これは嘘ではないが自己中心が根にある不正直な言動であった。

※「言い訳」があると過去の苦い教訓から学べない。

 

3、罪の再発にも拘らず注がれた神の恵み

アブラハムの自己中心の性質にもかかわらず、

またしてもアビメレク王から破格の待遇を受ける。14-16

アブラハムはどう思っただろう。

 

 私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、

 私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。

 

 天が地上はるかに高いように、

 御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

 

 東が西から遠く離れているように、

 私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。

 

 父がその子をあわれむように、

 主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

 

 主は私たちの成り立ちを知り、

 私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。  詩篇103:10ー14