日曜礼拝メッセージより
聖書 創世記22:1−14
日曜礼拝ではずっとアブラハムの生涯の話が続いているが、今日はその中のハイライト
「イサクを捧げる」のところ。
神は仰せられた。
「あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。
私の示す一つの山の上で、いけにえとしてわたしに捧げなさい。」2
モリヤの地=2000年後のエルサレム神殿
レンブラント画「イサクのいけにえ」
アブラハムはイサクを縛り祭壇の上のたきぎの上に置いた。
アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
そのとき、主のみ使いが天から彼を呼び、11
み使いはおおせられた。「あなたの手を、その子に下ろしてはならない。
今、わたしはあなたが神を恐れることがよくわかった。
あなたは、自分のひとり子さえ惜しまないてわたしにささげました。」12
アブラハムへのこの試練の意味は何か。
1、愛するものは誰のもの
アブラハムにとってイサクは年老いてようやく生まれた世継ぎの子であった。
執着が生まれて手放せない存在である。
愛する者の所有者は神である。
それがいつかは我が物となってしまう。
私は裸で母の胎から出てきた。
また、裸で私はかしこに帰ろう。ヨブ記1:21
2、神に従って大丈夫なのか?
(聖書に従って大丈夫なのか?)
弟子たちはイエスに従って見てきたのに、3年後十字架に掛かるイエスを裏切った。
イエスは弟子たちに「ガリラヤで会おう(信仰の原点に戻ろう)」おっしゃった。
3、死は全てが終わりではないかと問われる
アブラハムは、試みられたときイサクを捧げました。
彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。17
神は、アブラハムに「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、18
彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。
それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。ヘブル人への手紙11:19
イエスが十字架にかかられたのち復活信仰を与えられたが、神は2000年前にアブラハムにすでに復活信仰を与えられていたのであった。