礼拝メッセージより
「あなたの故郷はどこですか」
創世記23:1−4
現代の日本人の中でクリスチャンはたった1%という少なさであるが、キリシタンが入ってきた頃は一挙に3%の人々が信仰を持ったという。
大きな理由の一つに「葬儀」があった。
貧しい農民などは「野棄て」として弔いはしてもらえなかったという。
ところが、キリシタンの宣教師は農民の棺も自ら運んで埋葬し祈ってくれた。
貧しい者も富める者も等しく扱ったのであった。
今日読んだ箇所は、聖書に初めて記録された「葬儀」。
しかも女性の葬儀を行う箇所である。
1、生死のはかなさ
アブラハムの10歳年下の妻サラが死んだ。
アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。 2節
アブラハムはサラの「死に目」に会えなかった。まだひとり子イサクの結婚も決まっていず、ことの実現を見ないうちに先に死んでしまったのであった。
終活の中で、どうしても出来ないことは自分の埋葬である。
死は未完の出来事なのである。
しかし、心配する必要はない。
主は私にかかわるすべてのことを、
成し遂げてくださいます。詩篇138:8
主は私の願いを必ず聞いてくださる。
2、死の悲しみからの立ち上がり方
愛する者の死から立ち直るにはプロセスがある。
泣いて、立ち上がる。
それからアブラハムは、その死者のそばから立ち上がり、
ヘテ人たちに告げて言った。 3節
泣くことは大切である。我慢することはない。
「イエスは泣かれた」愛するラザロの墓に来て、号泣ではなく静かに涙を流された。ヨハネ11:35
3、死が伝えるメッセージ
私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、
あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。
・・・・・・4節
ヘテ人=ヒッタイト民族
地上では旅人であり寄留者である。ヘブル人への手紙11:13〜16
どこに居ようと魂は神の国に帰る。
「葬儀」とは自分の魂の行くべき故郷に帰ること。
私は天の御国へ帰ります。
私の国籍は天国にあります。
礼拝の後、友人たちと美味しいカレーライスのランチを食べた。
冷たい風が吹いているが雪は降らない。
姉(兵庫県)と妹(山口県)と電話でしゃべったが、どちらも雪が積もったらしい。
午後は炬燵で温もりながら京都で行われている女子駅伝を見る。
吹雪の中必死に走る若い女性たち。
最後まで目が離せないのである。