「もしもの備え」
昭和30年代、大阪には良く台風がやって来た。
私の家は典型的な日本家屋だったから、全部の雨戸を閉めたら先ず大風が吹いても大丈夫だった。
毎年のように台風はやって来た。
中学生の頃、8月の末に台風が来た。
勉強机を置いてある部屋は雨漏りがひどくて、気がついたら夏休みの宿題のあれこれがびしょ濡れになって泣いたものだった。
また、別の大きな台風では雨戸が弓なりに反ってきて家族総出で抑えた。
畳もふわ〜っと浮いてきた。
重いテーブルやミシンを運んできて押さえつけた。
恐ろしかった。
それ以後、父は台風の情報が入ると、雨戸の外に角材に大きな閂を咬まし(大工さんに作らせた)窓には板を貼り付け釘を打ち付けていた。
近所の家からも釘を打つ音を響いていた。
水などは井戸水だから心配したことはなかったし、停電は戦時中に慣らされていたから、ランプやら蝋燭でしばらく過ごせた。
ご飯も竈で炊いていたし。
現在の私の台風の備えは、お風呂に水を張って置く。
懐中電灯の点検。
庭の椅子や植木鉢の始末。
ご飯を炊いておにぎりを作る。
冷蔵庫の食料はほどほどに。
停電の時痛むし。
もしもの時はレトルトと缶詰でやり過ごす。
今、九州に来ている台風が、被害なく通り過ぎていくことを心から願って祈るのみ。