a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

懐かしい学級日誌

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これは約70年前、私が中学校3年生の時の学級日誌。

すでに亡くなった卒業当時学級委員だったNさんが持っていたもので、A子ちゃんがコピーしたのを送ってくれた。

 

表紙の字は担任のK先生。

毎日出席簿順に授業の内容、欠席者名、行事、所見を記入することになっている。

 

1ページ目は三学期が始まってすぐ学級委員選挙が有った。

席替えもした。

NさんとT君が選ばれたみたいで1ページ目に記入、先生の批評欄と検印欄がある。

Nさん初め数人の男子生徒が英文で記録している。

英語が使いたかったのだろう。

あの頃、英文は筆記体で書いた。

美しい筆記体の書き方をY先生に習ったのだった。

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 男子の学級委員に選ばれたTくん。

天才肌でいつも読書をしていた彼は70代で亡くなった。

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授業は7時間目まで有ったのだ〜

その後の8、9時間目にテスト、補修授業が連日あった。

過酷な日々・・・(๑>◡<๑)

三学期は卒業式、高校受験と大きな行事が先にあって、ちょっとピリピリした雰囲気が感じられる。

寒い冬だった様で、風邪ひきで欠席者も多い。

幸い弱虫だった私だが欠席していない。

男子生徒が寒いから運動場へ出ず、教室で暴れて机を壊したとかチョークが飛んできたとか、

殆ど毎日テストが有ってうんざりして発散したくなったのだろうか。

先の不安もあったのだろう。

 

毎日違う人が書いて、どの人も顔が浮かんで来る。

もちろん私のもある。

 

 三学期は音楽会があり、金剛登山があり、忙しい。

(私は音楽会の記憶がない、多分楽しくなかったのだろう、音楽の先生も嫌いだったし)

 

3月10日月曜日 R子ちゃんが書いている。

「講堂で卒業式の練習があった。

その時男子の歌い方が余りに元気がなかったので、ついに先生は怒ってしまわれた」

イヤイヤ歌う男子に先生はついに切れてしまったのだな。

 

現実は全員ほとんど希望の大阪府立高校に入学し(当時大阪では私立に行く子はごく少数だった)

大学へも進学しそれぞれの道を進んで行けたのを知っている。

今、同窓会で集まるのはこの45人の内の10人余り、半分以上亡くなっている。

 

こんな瑞々しい感性を持った頃が有ったのだ。