アリウム・ロゼウム
風が強くて少し冷える。
炬燵が懐かしいよ〜
4月の終わりにバタバタと大物の断捨離をした。
疲れたけれど少し肩の荷が降りた感じだ。
殆どは夫の実家の蔵に入っていて、戦争中はやっさもっさで疎開をし焼失を免れたものだと聞かされていたから、おいそれとは捨てられなかった。
それでも古い家から私たちの家に運ぶときに大半は売り捌いたから、その残りだった。
私の母は86歳で生涯を閉じた。
今の私の年齢と同じ。
母は何一つ断捨離をしていなかった。
今から36年前だから、断捨離なんて言葉はなかったし。
娘が5人もいたから皆で形見分けをしてくれるだろうと思っていたのか。
母が亡くなった後、姉妹で実家の片付けをしたが、箪笥の引き出しには衣類が溢れていたが、誰も欲しいとか、持って帰ると言わなかった。
全部ゴミとなった。
私は余りにも勿体無くて、数枚の母の訪問着と袋帯なんかを持って帰ったが、結局地味過ぎて着ることもなく捨てる運命になった。
母は明治の人間だから物を捨てるなんて思いも寄らなかったのだろう。
娘達が誰も要らないと言って捨てるとは思いも寄らなかったと思う。
私たちが幼い頃から育った懐かしい家が取り壊されるとき、高価な物を除いて全ての家具や何かは捨て去られた。
母と私は違う。
必要としない物が残されたら娘は困るだけ。
私のものは自分で処分してから最後の日を迎えたいのである。
私は裸で母の胎から出て来た。
また、裸でかしこに帰ろう。
ヨブ記1;21
せめてこの指輪だけでも(高かったんやから)・・・なんてことはないのだ。
お片付け頑張ろう。