朝、粗大ゴミを捨てに勝手口に出たら、お向かいのご主人と久しぶりに出会った。
お元気そうで良かった。
「ちょっと涼しなりましたな〜」
昨日、100年前の関東大震災の映像を見た。
今のようにスマホの様な通信手段を持っていないから、正しい情報もなく人々は大きな家財道具や荷物を持って右往左往するだけだ。
遠くに上がる火の手を見ても、どうすれば良いのかも判断できず。
この後、どうなるか、どうしたら良いのか・・・の予測も付かず。
あげく流言卑語で朝鮮の人に犠牲を強いて。
日本に住んでいる限り、地震の災害から逃れることは出来ない。
第一予測が付かないし、私のような弱者は寝る部屋に地震が起きた時、落ちそうな倒れそうなものを極力避けておくとか、水をキープしておくとかしか出来ない。
停電に備えて現金も少し用意しておくとか。
電気が止まったらカードもペイペイもATMも使えなくなるのと違う?
何もない時代に育った人間としては、あの頃を思い出せば何とかなる、と開き直って生きるしかない。
そういえば、戦争が終わった頃地震が多かった。
私は8歳前後。
夜中に家がユッサユッサ揺れて目が覚めたら、C子姉ちゃんが、たどんの入った炬燵を抱えて玄関の扉を開けていた姿を思い出す。
地震!先ず火の元。出口確認。って婦人会で教え込まれたのだろうか?
C子姉ちゃんはその頃21歳で、戦時中は青年婦人会(?)の班長をしていた様な記憶が。
ある時は、夕方だったか、H子姉ちゃんとお風呂に入っていたらユッサユッサが始まって、二人とも「きゃー」って素っ裸で庭に飛び出した。
母に、
「裸で庭に出る人がいますか!」とえらい怒られた。
・・・裸は危ないと思う。
せめてバスタオルで体を包むとか・・・しかし、その頃バスタオルなんかまだ無かった。
学校でも、地震の時に塀の側に行ってはいけませんと教えられた。
最近の地震ではブロック塀で子供が死んでいる。
秀吉はこの地震で大打撃を受けて家康を攻めることを諦めて懐柔策に進む。
もし、この地震がなかったら、徳川幕府はなかったのかも知れない。