お正月でも出かけるところが有るのは嬉しい。
冷たい風に吹かれながら歩いて教会へ行けることも嬉しい。
石川県の惨状や恐怖を思う時、おめでとうというのも憚れるが、やっぱり新しい年を迎えることが出来たのは、めでたいのだ。
明日の日に何が起ころうとも、喜んで日々を過ごして行きたいと思う。
今日もおにぎり持参でシニアの人たちとお昼を一緒に過ごした。
今日一番若いMさん(79歳)がお茶を淹れてくれた。
Sさんは心臓の手術を2度もしている。
家事をするのはたいぎだという。
「a-dollさんはお節をきちんとお重に入れて偉いわ」と言った。
娘がSNSにアップした何かを見たのだ。
「塗りのお正月道具を片付けるのが面倒で、うちは出さなかったわ」とSさんはいう。
私はスーパーなどで買ったもの、貰い物などをお重に詰めただけのおせち料理。
お屠蘇の道具も写真用。
鶴の模様のテーブルランナーも写真用。
元旦の午前中にもうさっさと片付けた。
「そんな扱いしたら塗りが傷みますやろ!」とうるさく言う姑もいないし、私が自分を叱ることもないし、塗りが剥げようと悪なろうと誰に遠慮もないし。
犬の話、猫の話。
亡くなった夫の話、健在の夫の話、なんでも喋れる友達は良い。
災害で家がなくなったら這ってでも教会へ来たら何とかなるよ、って話も。
希望があるわ。
帰り道小雨が降り出した。
椿の蕾はまだ硬い。