a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

避難指示の時は

 

今日、久しぶりにコーラスの練習に公民館まで歩いて行った。

 

公民館では避難訓練があった。

サイレンが鳴ったら階段を降りて公民館の玄関へ行くように言われた。

でも「数人が行ったら良い」と言われていたので、私たちは座って待っていた。

館内放送でブーッブーッとけたたましい音とともに「1階の図書館から火が出ました。避難してください!!」。

 

避難しないで座っている私たちはどうなるのか?

公民館の隣は消防署なのですぐ駆けつけてくれるだろう。

座っていてもだいじょうぶ。

 

戦時中、寒い日の夜中に空襲警報のサイレンが鳴った。

私たち子供は眠い目をこすりながら服に着替え防空頭巾を被って防空壕へ逃げた。

でも兄とM子姉は眠いからと起きず、祖母は「わては仏壇のそばで死にます」と言って動かなかった。

わがままな人たちは危機に際してもわがままを通すのだった。

米軍機は我が家の上を北に向かって飛び、その夜大阪市は爆撃を受けた。

 

北九州で大雨が降り災害があった。

水の勢いは恐ろしいと改めて思う。

 

 

今夜も孤立したまま不安な夜を過ごす人もいる。

早く水が引き平安な日々が戻りますように。

 

 

 

 

聖書の女性(31)ーマリヤ④

一昨日のメールの不具合はJ:COMのせいだった。

今日お詫びのメールが来ていた。

メールが変になって慌てて損をした。

家族が出かけている時パソコンが故障したら私はお手上げ。

 

台風は去ったけれど蒸し暑いし雨がまだ降っている。

傘をさして集会所へ「優しい体操」に参加。

優しくっても私は汗でびちゃびちゃ。

水分補給を再々行う。

これで晴れると雑草が元気になる・・・m(_ _)m

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

婦人聖書の集いより

 

マリヤ

 

聖書に記されたマリヤとキリストの会話。

キリストが最初の奇跡を行ったカナの婚宴の場での会話。

マリヤの人柄と信仰が良く表れている。

「神に対する私たちの祈り」について学ぶことができる。

 

聖書 ヨハネ2:1-11

 

1、嘆願の祈りの基本的教え

婚宴で用いるぶどう酒が足らなくなり、マリヤはキリストにこう訴えた。

ぶどう酒がありません」。

ここで「だから**してください」と要求していない。

遠慮深さとともに、必要を知らせることに終始している。

これは祈りの基本であって、神に必要を知っていただく事で良いということである。

 

 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、

 あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、

 あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 ピリピ4:6、7 

 

2、祈りを結びつけるもの

・マリヤの願いに対してキリストが語られた言葉に驚かされる。

あなたはわたしと何の関係があるのでしょう

女の方

わたしの時はまだ来ていません

冷たく突き放したようなキリストの言葉!

 

マリヤは「我が子」がたくましく成長し良き働きをしているのを誇らしく嬉しく思っていた頃であった。

エスの母がいた とあるように「母」として語りかけた。

しかし神の奇跡が行われる祈りの世界では「母と子」の関係は通用しない。

あくまで神と人との関係である。

キリストはマリヤにそれを正した。

 

・祈りの世界において神と私たちを結びつけるものは何か。

奉仕を多くしてきたとか。良い人物であるとかの理由ではなく、

キリストの御名への信仰だけである。

 使徒3:16

 

3、神の答えへの信頼

マリヤは「あの方(呼び変えている)が言われる事は何でもしてください5 と語っている。

キリストは何とかしてくださると信頼しての言葉で、マリヤの謙遜と信仰に心打たれる。

 

 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、

 神はその願いを聞いてくださるということ、

 これこそ神に対する私たちの確信です。

 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、

 神に願ったその事は、

 すでにかなえられたと知るのです。  第一ヨハネ5:14、15

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カナの婚宴 パオロ・ヴェロネーゼ(1528〜1588年)

台風がもうすぐ来る

昨夜のメールの不具合はブログを書いた後すぐ治った。

写真も届いた。

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蚊に刺されながら撮ったブラックベリーの実が熟れつつある。

真っ黒になったら食べられる^ ^

 

後から考えたらスマホで直接写真をブログに貼り付けるという手も有ったのだ。

私の頭が低気圧のせいでドヨーンとして働かないから、パソコンもやる気を無くしたのかも知れない。

台風が直撃しそうなので、買い物に行ってきた。

冷蔵庫にはたっぷり食料は有るのだけど、台風の行事(?)の一つだからしょうがない。

私と同じ気持ちの友達に沢山出会った。

皆、戦時中に育った子。

 

午後はやる気を出してクローゼットの整理をする。

引き出しが1つ空になった。

 

理想のワードローブに近づきつつある。

むちゃくちゃ暑い

朝から暑い!

出かける準備中も汗がポタポタ落ちる。

冷房がすぐに効かない。

 

首にハンカチに包んだ保冷剤を巻いた。

いつもと違う外出準備に、うっかり財布を入れるのを忘れて出かけてしまった。

 

礼拝が終わって食事の時に気がついた。

Mさんに200円借りる(ー ー;)。

6人で楽しく喋りながらランチタイムを過ごす。

 

財布を忘れたのでスーパーに寄るわけにも行かず真っ直ぐ帰宅した。

ワンピースは汗でびちゃびちゃになった。

今からこれでは先が思いやられる。

減っていく幼友達

朝からかなりの雨。

 

この歳になったら訃報が届くのは日常茶飯事。

いちいちびっくりしてられない。

今朝は小学校から中学校の間仲良くしていたTちゃんが亡くなった知らせが遺族から届いた。

ちょっと落ち込む。

 

Tちゃんは勉強が良くできて、スポーツ万能、歌も上手で、学芸会では主役をして、生徒会の会長なんかもしていたし、長じては魅力的な美人になり・・・勝気で、私はいつも家来の扱いを受けてたのだ。

 

 

Tちゃんは嫌い!と思って晩年は疎遠になっていたのに、先に逝ってしまってやっぱりすごく寂しくて悲しいのだ。

 

彼女が結婚したのは旧家の次男坊で、大手の商社勤務、大きな家を建ててもらって人も羨む暮らしぶりだったけれど、何しろ古い村の中で彼女の個性は目立って邪魔だった。

 

「わたし、主人が死んだらここから出ようと思っている」といつか言ってた。

かなり生きづらかったのだと思う。

ご主人は2年前に亡くなられてそれ以後彼女は元気をなくし、同期会にも出席しなくなった。

閉鎖的な村から出ることなく生涯を終えたのかと思うと不憫で泣けてくる。

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仲良しだった頃のTちゃんと私。(1948年 今から約70年前)

この写真は6年生で、A沢君の家にお呼ばれした時のもの。

ぼーっと写っているのは私が細工したのではなく、もともとぶれて撮れたのだ。

写真屋さんのミス。

写真は高価だったから「もう一枚行きます!」なんて事はありえず、ぶれた写真になったのだが貴重な写真。

5人がお呼ばれの対象で、A君を入れて6人が並んでいる。

 

卒業式を控えたこの頃、何人かの男の子の家にお呼ばれした。

A野君の家へは女の子ばかり5人招待された。

てんぷらをご馳走になったのを覚えている。

S君の家には私がすっぽかして行かず悪い事をしたと今頃反省している。

 

A沢君もA野君もハンサムで可愛かったがクラス会には出てこない。

住所不明なのだ。

どちらもお金持ちのおぼっちゃまだったが、どうしているのだろう?

 

だんだん少なくなっていく私の幼友達・・・・。