a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

雛点心をいただく

近所のグループ「優しい体操」の仲間13人とお食事会に行く。

1ヶ月に2回の教室で会費を僅かしか支払ってないのに、残っているので、とお食事会が半年ごとに開かれる。だから負担は一人1000円。

マメなお世話役さんなのである。

今日は定休日なのに開けてもらって「朝日屋」さんのお昼のメニュー雛点心を頂く。

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小さなカットグラスに入ったお白酒で乾杯。

手まり寿司、海老のあられ揚げ、鯛の子、さわらの塩焼き、手前にユリ根の花びら、お内裏さまの入れ物の中に和え物が入っている、右奥はサラダ、ローストビーフが載っている、左奥の雪洞には金平糖が5個入っていた。

かりかりと噛むと音がして懐かしい。

ご飯と貝の赤だし、香の物。デザートは苺が乗ったゼリー。

コーヒーも頂く。

古い内裏雛や市松さんなどが3方に飾られた華やかなお部屋。

♫今日は楽しいひな祭り〜。

昨日の味気ない男性たちとの会食と違って、賑やかな楽しい昼膳だった。

このお店は歩いて30分ほどの距離に有るので、帰りは歩く人もあったりして、4台の車で帰宅。

 

前庭も早春の庭木が少し芽を出し始めていた。

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夕方雨になる。

買い物は大阪で

京都へ行く。

2度目の会議だった。

来月で終わる。やれやれ。

今日もお昼は同じメニューだったけれど、穏やかな話合いで早く終わったので、会議後に談笑しながら食べた。

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若い男性はエビやらカニやらのアレルギーが多い。

今時の男はやわだ。

私は全部美味しく食べた。

終わってから今日も一目散に帰阪して、難波の高島屋でゆっくり買い物をした。

くたびれた日。

楽しみと喜び(3)~この日を喜び楽しむ

雨の日。

階段下物置から掃除機ホースとモップを出してくると、クルミは急いでテーブルの下に隠れる。

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掃除機の音が怖いのだ。

クルミを驚かす怖いものがもう一つある。

それは私の突然起こるくしゃみ。

飛び上がって逃げていく。

「ごめんごめん」と言いながら連発して鼻水と涙を流しているとそろそろ戻ってくる。

毎度のことながら一瞬何事ぞ?と思うわけだ。

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

楽しみと喜び(3)~この日を喜び楽しむ

 

明治時代に活躍した内村鑑三は「一日一生」という本を著した。

内容は一日を神の御心に生きれば一生を生きた値打ちがある、という趣旨である。

長い一生のことを考えなくても「今日」という一日を精一杯生きれば良いということになる。

今日という一日の行き方を聖書から学ぶ。

 

聖書 詩篇118:21-24

 これは、主が設けられた日である。

 この日を楽しみ喜ぼう。

 

1、祈りが答えられた

 私はあなたに感謝します。

 あなたが私に答えられ、

 私の救いとなられたからです。118-21

なんらかの危機経験があり、助けを求めた時に、神がその祈りに答えてくださった、という事実からこの日を喜んでいるのである。

これはいつの時代にも言える楽しみであり喜びである。

 

2、逆転劇があった

 家を建てる者たちの捨てた石。

 それが礎の石になった。22

 これは主のなさったことだ。

 私たちの目には不思議なことである。23

この意味は2つある。

①人々が排斥したキリストが人類の救い主となられた、という預言的な意味合いの御言葉である。

時代が変わろうと、キリストこそ信仰者がいつも喜ぶことのできる土台である。

  1ペテロ2:7

②人生の逆転劇があり得る

ヨセフの生涯に見られるように、その時は苦しみに思えても、神は愛する者のために人生の逆転劇を実行してくださる。

 

3、これは「主が設けられた日」である

一日の中に降って沸いたようなことが起こり翻弄されることがある。

それは、神が全ての起こることを御心に留めた上で与えた「今日」なのだ。

だから、想定外のことも、苦しみでさえも神のご計画の中でしか動いていないのだという信仰的立場に立つ時、主に間違いはないと信じて「この日を楽しみ喜ぶ」のである。

おいしい大豆ごはん

教会では礼拝の後ランチが食べられる。

値段は200円。

いつも誰かが奉仕して準備してくださっている。

今日はM家が当番だった。

献立は豚汁と大豆ご飯。

大豆は柔らかく茹でたのを使っているので食べやすくて美味しい。

 

子供の頃(戦時中)お米が配給で少ないので量を増やすために大豆を入れて食べた。

私はこのご飯に入っている大豆が嫌いで、お箸で一粒づつ摘み出してお膳の隅に並べて残していたら母にひどく叱られた。

「勿体無いし、行儀が悪い」という二つの理由だ。

仕方なくまた一粒づつお箸でつまんで泣き泣き食べた記憶。

 

どうしてあんなに嫌だったのだろう。

ひもじいのに。

子供の頃を思い出しながら感謝しつつ美味しく戴いた。

 

何で覚えてくれないの

お天気。

暖かいのか寒いのか分からない。

花粉が飛んでいてくしゃみを連発した。

マスクをして出かける。不思議なことに外出中はくしゃみが出ない。

 

ソプラノにずっと来ている4年先輩のKさんは帰り道に偶に一緒に地下鉄に乗る。

もう知り合って20年ぐらい経つのに「どこへ帰られるの?」と改札口で聞く。

堺筋線天下茶屋から高野線に乗り換えます」

「私は心斎橋で降りますから、あちらから降ります。ではさようなら・・・」

この会話、毎回繰り返す。

 

認知症じゃないと思うけれど、お愛想で聞かれているのかもしれない。

要は私に余り関心が無いから覚え無いのだろうと思う。

私が反対側へ降りるのを覚えていたら、ただ「じゃ、さよなら」で良いと思うのだけど。

「あなたはまだ若いから・・・」とおっしゃるから「4年若いだけですよ。4年なんてすぐ追いつきます」と答えたら「あら、そう、もっと年下かと思ってた・・・」

 

後輩だしコーラスのメンバーなんだからもうちょっと関心を持ってくれてもええや無いの?と思ってしまう。

でないと、認知症と診断してしまいますよ。

花の三月

3月になった。

新しい年になってからあっという間に2ヶ月が過ぎ去った。

この調子で行くと年号が変わる日もすぐにやってくることだろう。

 

カレンダーをめくる。

大きいの、小さいの、猫ちゃんの、といろいろ。

どれも明るい春の花の写真や絵なので、それだけで家の中が明るくなって嬉しい。

 

春は眠くて体がだるいのが困る。

今日も大した家事はせず。

映画を見る。

公民館へ通う道

「優しい体操」といっても、やっぱり大腿骨の筋肉痛になって今日は歩きにくい。

朝から雨が降る。

お風呂も入ったし朝食もたっぷり食べたら、しんどくなった。

タツに足を突っ込んで寝そべっていたら、寝てしまった。

 

昼食後雨が上がった。

頑張って公民館へ。

Kべちゃんは私より2才年上で小柄なおばあさんである。

いつも錦織公園の中を抜けて45分かけて歩いてくる。

雨だから休むかな?と思っていたらやってきた。

皆が「来た〜」と感激する。

 

帰りは娘に頼んで迎えに来てもらった。

私を入れて5人の乗客。

殆どは家のすぐ近くまで送るが、Kべちゃんは公園の入り口で降りる。

公園の中をてくてく歩くとKべちゃんの家である。

小さいKべちゃんは公園の森の中で狼に拐われないかなあ?