a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

新緑の見える病室

夫の病室は2階だが、窓の外に大きなケヤキの木が有って緑の葉を茂らせている。
その横は何の木か、まだ新芽が出そろっていなくて毎日木の様子が変化して行くのを見るのは楽しい。廊下の突き当たりには満開のハナミズキが見える。
うちの夫は花や新緑に無関心に寝てばっかりだ。俳人らしくも無い。
食欲も余り無いので主治医に訴えたら、昨日手術したばかりやから無理ないし心配ない。安静にしていたら良いよ。とおっしゃったので、ほっとする。直前まで風邪を引いていたのだし。
さて、今日のお話は・・・小学生になった私。
幼稚園からずっと一緒のKさんには小学校(当時は国民学校といった)に入ったときに虐められた。
彼女も電車通学していたが、もう一人の子Tさんと一緒に声を揃えてチクチクいけずを言った。
しばらく続いて悲しい嫌な毎日だった。
小学校の有る駅に電車を降りると、集団登校になる。上級生のリーダーと全員一緒に学校まで行くのだが、途中に八幡様が有ってそこで一斉に立ち止まり、並んで柏手を打って戦勝を祈願するのが決まりになっていた。
そのリーダーが(名前は忘れたけれど)とても可愛がってくれて、いつも手を繋いでくれて、可愛い犬の木彫りのブローチまで貰ったりした。
多分それが、Kさん達には面白く無かったのかも知れない。
私は蚊トンボみたいな小さい子だったけれど、姉たちのすることをいつも見たり聞いたりしているから、頭はかなり進んでいた。新しい教科書は全部読めた。ただ、舌足らずで『ヒノマルノハタ バンザイ バンザイ』が バンダイ バンダイとしか言えない。妹の名はサッちゃんなのだが、タッちゃんになるのである。
この年になっても余りおしゃべりが得意で無いのは、この頃からの名残でもある。
歌も耳でしっかり覚えていたし、絵を描くのはもっと得意だった。
馬鹿にしていたチビの私なのに、学校に入ってしばらくしたら先生の覚えめでたく、彼女達はいつの間にかいじめなくなっていた。Tさんなんかは、すり寄って来て仲良しになっていた。
これ以後、友達による虐められた経験は無くなった。
今思うのに、虐める子らはどの子も家庭に問題が有った様に思う。子供だから家での鬱屈した心を誰かにぶっつけて、それが弱い者を虐める形になっているのかも知れない。
それはともかく、それ以後小学校生活もしばらくは楽しい平和な日々だったのだが。明日につづく。