a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

まだまだ小さい頃のこと

一昨日は幼いとはいえ、少々みっともない所を書いてしまって、ちょっと恥ずかしい。
幼い時を思い出したついでに、もう少し書いてみる。
3〜4才だから記憶が断片的てしかもあやふやだから、違っているかも知れないけど、かめへんかめへん、誰も覚えてないやろうし(←H子姉ちゃんを除いては)。H子姉ちゃん間違ってたら言ってね。
私の生まれた家は建築金物問屋。父は今で言う起業家。父親が武士の商法で事業に失敗してその上早く亡くなったので、貧しい中を苦労をして、長兄にわずかなお金を借りて商売を始めたと聞いている。
父は8人兄弟。その中長兄を除いて全員が養子に行った。お金持ちに貰われて行ったから教育も充分受けて立派になっていた。私の父は6男なのに養子に行くのはイヤとM家に止まった。長兄という人は幼いときから苦労せずに大きくなっていたので、あかんたれ。道楽者で夫婦の間には子供が無かったし若くして亡くなったので、結局6男なのに父が家を継いだのである。
前置きが長くなったけれど、お店には番頭さんや丁稚さんやぼんさんが居て、商売は順調に繁盛していたようだった。
お店と少し離れた所に住まいが有って、2階建てで物干し台が屋根の上に有った。物干台に上がって見回しても、屋根と空だけ。大阪には戦前から緑は少なかった様に思う。少し南東へ行くと上町台地で高津(こうず)神社が有った。
私達は『高津さん』(大阪では何でもさん付けで呼ぶ)の氏子。お祭りや初詣には高津さんに行った。
元日の朝。まだ暗いなか、起きると枕元に新しい下着が畳んである。靴下も一緒だ。それらを身につけて一張羅の洋服を着せてもらって、初詣に行く。神社の石の階段を上がると境内には赤々と松明が焚かれていて、大勢の人がお参りに来ている。
ようやく明るくなった頃家に帰ると、玄関には紫色に白で家紋を染め抜いた幕が掛けられて、中央には大きな房が下がっている。何時もと違うよそ行きの着物を着た母が、赤ちゃんの妹を抱いて待っている。
それからお雑煮を祝う。
2日は初風呂の習わし。銭湯の使用人が「**湯が沸いた、沸いた。」と大声で宣伝して駆けて行く。
殆どの家には内湯が無く銭湯を利用していた。
我が家でも母が赤ちゃんの妹や私をお風呂に入れて洗ったら、おなごしさんが脱衣所で受け取って洋服を着せて家に連れて帰る、という段取りになっていた。
その後、お風呂に入ってきれいになった所に着物を着せてもらうのがお正月の楽しみなのだった。つづく。