小春日和。
我が母の記 3
母の話に戻る。
母の姉ハツはお婿さんを迎えた。
亡くなった夫は金澤のしっかりした家の出だとよしのさんは知っていたので、名前を絶やしてはいけないと、姉娘に貧しいけれど士族だという男性をお婿さんに迎えたのだ。
この男性は実は私の父の二番目の兄(こうじ)である。
父の大勢いる兄弟は長兄を除いて全員養子になった。
この人はちゃんと学校を出て大手の商社に勤めていたのに、放蕩の味を覚えて会社を辞めてしまい、その挙句職業をころころ変える人だった。
それでも背が高く面長でおしゃれ。
格好の良い男だったので姉はたちまち「諾♡」となったのだろうか。
母が言った。
「こうじ義兄さんは格好の良いオーヴァを着たはったんや。そやけどそのコートの月賦が残っていたのをお姉さんは払わされた。呆れた人やってん」と。
それでも優しくて、女の子も生まれた。
義妹のことも可愛がってくれた。
絵や字が上手で、三味線の歌の本を美しい装丁にして作ってくれた。
母はそれをずっと大事にしていて私に見せてくれた事がある。
その後、このお婿さんの弟(私の父)が母のことを見初めて結婚を申し込んだ、という素敵な出来事が有った。
義兄と違って弟はぱっとしないし、眼鏡をかけていて、背も低かった。
そして商売を始めたばかりでお金も無かった。
母は直感でこの男性は幸せにしてくれると思ったのかもしれない。
「めでたしめでたし」のおとぎ話のような。
母は結婚するまで、住み込みのお手伝いをしていた。
大きなお店の家の中の女中さんである。
そこで行儀作法を学んだ。
旦那さんと御寮人さんが食事をするときにお給仕をしたりする。
前栽を前にした広縁に椅子とテーブルがあって、そこでお昼ご飯を食べはんねん。私もいつかこんな事できるようになりたいな~と思ったのだそうだ。
その後、姉とその一人の女の子供は亡くなった。薄幸の人だった。
母は寂しかっただろう。たった一人の姉なのに。
それから数年して義兄も死んでしまった。
先祖の墓地が金澤に有ったが、よしのさんはお寺の場所も名前も忘れたのか分からなくなっていた。
生活に追われて金澤まで納骨に行く余裕が無かったのかもしれない。
母がいうには、お父さん(私の父のこと)が人づてに探してくれはったら見つかった。
立派なお寺で、昔はお寺の総代を代々勤めてはって、本堂の天井に吊ってあるピカピカの天蓋は、先祖が奉納しはったのやと住職が教えてくれたとの事。
無事に皆のお骨をそのお墓に埋めて以来、毎年私の両親は両方の家の墓参りを続けた。
母は結婚して幸せを掴んだ。