a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

一番古い思い出は

a-doll2007-05-20

この年になって子供の頃を思いだしていると、第三者的な視線で見ることが出来て、子供の頃には解らなかった色んな周囲の状況が見えて来る。
普通、生まれて始めての記憶ってどれ位からなのだろうか。
私の場合、2才になったばかりの頃の記憶だ。
2才の冬、左足の中指の霜焼けからばい菌が入って化膿し、外科医院で治療をしてもらった。抗生物質も無い頃の治療だ。今でも傷跡が有り、少々指が曲がっていて窮屈な靴を履くと痛みが生じる。でも、びっこにもならず普通に成長して幸運だった。
医者に連れて行かれたのは夜だった。待ち合い室に居ると、「Mさん。」と特徴の有る抑揚で名前を呼ばれて診察室へ入って行った記憶。その夜は痛くてずっと泣いていたので、母がおんぶして子守唄を歌ってくれた記憶。
「ねんねころいち〜てんまのいちは〜だいこそろえて〜ふねにつむ〜♪」母はその頃40才、妹がお腹に居た筈だ。
身重の身体なのに、2才の子を背中に背負ってさぞしんどかったことだろう。
子供の痛みは自分の痛み。寝もやらず、子供の痛みが薄らいで行くのを念じていてくれたのだろうか。
普段はおなごしさんのおきよどん(おこちゃんと呼んでいた)がお守りをしてくれていたが、こんな時はやっぱりおかあちゃんでないと泣き止まない。
その4月に妹が産まれた。それまで母に添い寝をしてもらっていた私は、赤ちゃんにその場所を譲らねばならなくなった。
母はそんな私が不憫だったのだろうか。長い間、両側に子供を寝かせていた。(逆、川の字だ)さぞ窮屈な夜を過ごしたことだろう。いつも「まだ小ちゃいのにすぐ妹が産まれて、この子は可哀想や。」と言っていたのも記憶に残っている。
母がたっぷり愛情を注いでくれたお陰で、妹にジェラシーを抱くこと無く、大の仲良し姉妹として成長して行ったのだなあと、母の手腕に感動する。