a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

大家族での私物について

子供の頃私物なんて何にも無かった。
自分のものは、学校の教科書や筆箱や書道の道具、お裁縫箱など。茶の間の窓の下に釘が打ち付けてあって、そこにぶら下げたような記憶が有る。
玩具もお人形も全て姉妹の共有のもので押し入れに入っていたと思う。絵本や本も自分だけのものは無く、皆が繰り返し読むからぼろぼろだった。
3年生のある日、友達T子ちゃん(1人娘だった)の洋風の立派な家に遊びに行ったことが有って、ピアノの上に西洋人形が並んでいて、まっさらの絵本が本箱に沢山揃っていて、びっくりした。その上彼女の家の防空壕を覗いて見ると、それはそれは立派な作りで、床や壁に化粧板を貼付けてあったのである。うちのは唯掘っただけ、床も土の上にスノコ板を置いてあるだけで雨の日はびちゃびちゃになったいたから、これもびっくりした。
一人っ子って良いなあと思ったのだった。(シェルターなんか良くてもしょうがないけれど)
話がそれてしまったが、子供なら誰でも持っている宝箱は有った。今でもアティックに保存してあるが、みかん箱に千代紙を貼って、蓋には雑誌のカラーの口絵を貼ってある。中には使い古したリボンとか、友達から貰ったブローチとか、手紙や葉書、クルミちゃんの絵の書いてある小箱には、ビーズなんかが入っている。これが唯一の私物だ。
衣類は納戸のタンスの引き出し1つが与えられて入れた。靴は小玄関の下駄箱。靴と言っても雨靴を含め3足ぐらいしか持っていなくて、家では下駄を履いていた。運動靴は配給でしか当たらない。学校でクラスに何足か割当が有って、1番ボロッチイのを履いている子から順番に貰えるので私の順番は中々廻って来なかったのである。
洋服も衣料切符で配給のが貰えたようで、同じ剥げた花殻のワンピース(布地も染料も悪かったのだ)を大勢の子が着ていた。私は母がおしゃれで、娘にそんな服は着せられない、とどこかで服地を調達して来て縫ってもらったのを着ていたが。
まあ、全てに物が無いから、収納に困ることも無く家はいつもきちんと片付いていたし、そう不自由とも感じていなかった。
中学校に通う頃になって、ようやく誰かのお下がりの机が唯一自分のものとなって、引き出しに私物を入れる事が出来たのだと思う。
たまに羨ましがることは有っても、T子ちゃんのケースは特別で、どこの家もあの頃は兄妹が多くて、もっとひどかったから、そう不服にも思わなかったのだ。
dollyちゃんの質問の蚊帳だが、全員が蚊帳の中で寝た。だから部屋の数だけ蚊帳が有って、夏場は家中に蚊帳が張り巡らされていたことになる。