a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

夫の祖母のこと

『M家の三筆』の事はこの前書いたが、私の嫁いで来たA家にも達筆の女性が居た。
我が家には古いひな人形を始め、塗りのお椀や掛け軸など桐の箱に入った調度品が有るが、その箱書きの字の立派な事。これは夫の祖母で「ぎんさま」と言われた人の字なのである。
大胆で形も良く筆に勢いが有る男の様な字。
夫が自慢げに言っていたが、近所の出征兵士のための寄せ書き。大きな日の丸の真ん中に大きく『祝出征』とか『武運長久』とか書いて、周りに沢山の人が寄せ書きをするのだが、いつも頼まれて書いていたらしい。
「ぎんさま」という人は回船問屋を営んでいたI藤家からA家に嫁に着た。ハンサムな夫(祖父)には中風で寝ている母親が居て、その介護も「ぎんさま」の仕事であった。
子供は男の子2人女の子3人を産んだ。
祖父は一人息子でおぼっちゃま。松阪やに勤務。東京の日本橋の支店に勤務したことが有って、その時お公家さんの衣装を担当ししたことで、その余り布で長女の為にひな人形の衣装を作らせたと聞いている。
確かに我が家のおひな様の衣装は立派で、110年も経つのに少しも痛んでいない。
残念な事に祖父は若く亡くなった。「ぎんさま」は早く未亡人になってしまった。
A家には田舎に広大な農地が有って(戦後不在地主で全てを失ったが)、その上がりで食べていたから金銭的に不自由をしていない。その上「ぎんさま」は未亡人になって質屋を始めたのである。
住まいは名古屋の中心、繁華街や色町も近い。芸者衆が旦那に買わせた簪を質に入れに来たという。
「ぎんさま」はしたいほうだい。娘達に芸事を習わし、高価な振り袖を何枚も買った。つづく。