a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

娘と車で教会に行く。今日の様なあつい日は近くても歩けない。
今日のメッセージは『遮(さえぎ)られていた目が開く』。
ルカの福音書もいよいよ終わりに近づいた。
今日はルカ24章13〜35節から。
二人の弟子がエマオという村に行く途中、イエスご自身が一緒に歩いていられるのに気が付かなかったのである。
今在る事しか見えないその目を遮るものはものは何か?
1、失望落胆の時。二人はイエスが十字架で死刑になり、その上遺体も見つからないと聞いてがっくりしていたのであった。人は苦境にあるとき、もの、人、環境という目の前のことしか見えなくなってしまうのである。
2、誤解してしまうとき。自己中心的な考えで失敗だと誤解する、勘違いしてしまう。
弟子たちは、キリストは必ずそのような苦しみを受けて、それから彼の栄光に入るという予言者の言葉を信じていなかった。
信じていれば、落胆する事も誤解することもなかったのだ。
大切なのは、聖書のみ言葉の正しい解き明かしをすることである。
苦境にあるときは、自分の今有る環境を受け入れて、目を開くことが幸せに繋がるのである。
今日の様なメッセージを聞くとき、私は神さまを信じる事ができて幸せだと思う。