a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「喜びの回復」

ルカ15:25〜32
今日のメッセージの副題は「そない気張らんでも」である。
聖書のこの箇所は放蕩息子の弟の話であるが、本来は兄に焦点を当てて語っている。
放蕩の限りを尽くしすっからかんになって、弟が帰って来た。
父親は喜んで、走りよって彼を抱き、口づけをした。そして子牛をほふり祝宴を始めた。
そこへ畠から真面目な兄息子が帰って来て、父になじったというお話である。
私たちは真面目に一生懸命生きようとするあまりに、見えないことがある。故なくいらだったりする。
1、満足無しのガンバリズム。
対面を保つために、恥をかかないために頑張ってしまって喜びがない。29節
2、愛がない。
弟のことを、弟と呼ばす父に対してあなたの息子と呼んでいる。30節
自分はこんなに頑張っているのに・・・親から生前贈与されたお金を、無駄に遊興費に使って浪費している弟との関係を切ってしまいたいと思っている。
兄は真面目で立派、しかし愛が無い。
例え理解出来なくても愛することが大事だ。
3、兄は大きな勘違いをしている。
自分はすでに報われているということを忘れている。
自分も弟と同じように財産分与を充分受けとっているのである。
報いとは何か。正しい事を行っていける事自体が報いなのである。

この1ヶ月、行事が重なったのと、急な暑さに少々くたびれた。
私もこの辺でガンバリズムを捨て、しばらく気楽に過ごすことにしようと思う。