有名な放蕩息子のお話だが、実はこの話は「兄息子」の話である。
今日は「譬え話」シリーズなので、兄と弟のどちらについても学ぶ。
聖書 ルカ15:1−3、11−32
1、譬え話の種明かし
父=神
兄=パリサイ人、立法学者で表された自称義人たち 2
弟=取税人、罪人たちで表された罪の自覚のある人たち 1
2、弟息子について
・「財産の分け前をください」12 の意味することはなにか?
神なしの生活、自分の力で生きる
・なぜ父は弟息子の家でをストップかけなかったのか?
ストップかけることが愛なのか、かけないのが愛なのか?
その人の生き方がある。犯罪でなければストップはかけない。
・何が弟息子に「我に返らせた」のか?17
1、父の家の祝福を思い出した。
2、自分の惨めさに気づいた。
・弟息子が父に抱かれたのは、罪のお詫びをしたあとか、その前か?
前
3、兄息子について
・務めに対する態度責任感が強く戒めを破らないで頑張るのは立派だが 29、父に仕えるのに必要な態度を失っている。
喜びをもって主に仕えよ。
喜び歌いつつ御前に来れ。詩篇100:2
喜びがないのが大きな問題である。
・弟への呼び方に見る愛の欠如
「このあなたの息子」ー「僕の弟」と呼べない。
心において兄弟関係を切った。愛が失われている。ひがみがある。
・報いに関する勘違い
「子山羊一匹もらっていない」(報われていない)29節、という言い分は正しいか?
12節ですでに財産は全部自分のものになっている。(ユダヤでは兄は弟の2倍もらえる)
※報いとは何か?
何とか元気で生きて働けること、
他人のために奉仕出来ること、
礼拝できることがすでに報いである。