a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

「「自己憐憫に陥るとき」

婦人聖書の集いより。
エレミヤ45:1〜5
バルク(エレミヤの口述を書物にした人)の嘆きの言葉。
バルクは自己憐憫に陥っている。3節
その理由は、神に語られる言葉を記録していたから、この私もバビロンに連れて行かれるのではないだろうか。
神に仕えた単なるしもべなのに、バビロンで殺される私は哀れだな、と嘆いている。

バルクに見えてないこと。彼に学びたいこと。
1、神のご計画がわかっていない。
勝手に決め込んで一人で嘆いている。
 あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。
 求めるな。見よ。
 わたしが全ての肉なる者に、わざわいを下すからだ。 
 ー主の御告げー
 しかし、わたしは、あなたの行くどんな所ででも、
 あなたのいのちを分捕り物としてあなたに与える。5節

大きなことを求めるとは自分の生涯を勝手に決めること。
人間は自分の運命を勝手に決めてしまう。詩編31:22
2、神の痛み(悲しみ)。
 見よ。わたしは自分が建てた物を自分でこわし、・・・4節
即ち、ご自分の最愛の一人子を人類のために、何もわかっていない人間にゆだねる(残虐な目に遭わす)父なる神の悲しみのこと。
3、神の愛。
バルクはしもべに過ぎない。しかし、その嘆きを御心に留められた。5節
 わたしの目にはあなたは高価で尊い。
 わたしはあなたを愛している。イザヤ43:4

午後、賛美フラの練習。
賛美フラで使う場所は意外に腕なのである。
腕を広げてキープする(肩甲骨を寄せて)のは日常で使わない姿勢だからだろうか。
気持ちよい筋肉の疲れを体のあちこちに感じる。