「恐れの時の安心」
第2列王記6:15〜23
預言者エリシャの時代に、イスラエルはアラム民族に攻め寄せられて恐れの中に有った。
1、恐れの原因は何か。
聖書的には見える世界しか見えてないから起こる。
召使いが外に出ると、軍隊が町を包囲して居たのを見て恐れた。15節
エリシャは見えない世界を見ている。だから召使いには見えなかった。
2、見えない世界には守って下さる存在がある。
エリシャが祈って召使いの目を開かれると神の軍隊が見えた。16、17
にわかに起こる恐怖におびえるな。
悪者どもが襲いかかってもおびえるな。
主があなたのわきにおられ、
あなたの足がわなにかからないように、
守って下さるからだ。箴言3:25、26
神が脇に居られる。大きな約束をして下さった存在を忘れない。
人の歩みは主によって確かにされる。
主はその人の道を喜ばれる。
その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。
主がその手をささえておられるからだ。 詩編37:23〜24
致命的な倒され方はしない。
3、クリスチャンは心の目を開く信仰を養う。
聖書を読む事で心の目が明らかになる。
私たちは、見えるものにではなく、
見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、
見えないものはいつまでも続くからです。 第2コリント4:18
エリシャには信仰が有ったから出来たので、アラムは2度と攻めて来なかった。