身から出た錆で誰も助けてくれる友もない。
そんな旅だったが、そこに神との大きな出会いを経験する。
聖書 創世記28:10-22
1、共におられる神の発見
叔父の住むパダン・アラム(28-2)まで500キロ。
母方の実家とはいえ、兄の復讐を避けて命からがらの逃避行はいっそう侘しさと寂しさが募る。
そんな時、夢で天の梯子を見た。
その梯子を登り下りする主の語り掛けを聞いた。
「主がおられるのを知らなかった」(16)
一人で旅をしていると思っていたが「共にあり」と語られる神がおられるのを知った。
※神は私たちが認めなくても共におられる。
2、恵深い神の発見
父を騙し、兄を欺き、父の相続財産を奪うようなことをしてしまった罪深いヤコブ。
しかし、そんなヤコブに神は「あなたにこの地を与え・・・子孫は地の塵のように多くなる」(13、14)
更に「あなたと共にいて、あなたを守り、あなたを捨てない」(15)とまで約束される。
※これはヤコブを甘やかし過ぎる!ヤコブは懲らしめないとと思うのは当然のことだが、
この神の取り扱いに腹が立つ人は、
自分が義人の側に立って聖書を読む人。
これで喜ぶ人は自分が罪人の側に回って読む人。
聖書はこう言う。
「義人はいない、一人もいない」ローマ3:10
自分が神の前に罪人である事が分かれば、この扱いが申し訳なく有難く身に余る光栄と感謝せずにおられない。
3、失望を希望に変える神の発見
ヤコブにとってこの旅は傷心旅行でしかなかった。
しかし一夜を過ごしたその場所を神は、
「私はあなたが横たわっているこの地をあなたとあなたの子孫に与える」(13)と言われた。
将来与えられる土地を見せるための旅!
傷心旅行などではなく受け継ぐ土地の下見旅行であったのだ!
※過去に引っかかってた暗い出来事が神の恵によって希望に変わる。
神はトラウマを変え、人生を変えて下さる。
神は意味を変え、意識を変えられるのだ。
ミヒャエル・ヴィルマン画
葬儀でよく使われる讃美歌「主よみもとに近づかん」
(タイタニックの映画でも演奏された。)
この時の様子を歌ったものである。