a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

御霊の実 4 「寛容」

足の甲の痛みも腫れも引いた。
筋肉が忘れないよう時々歩く。
教会の帰りにMちゃんと娘が寄ってくれた。
Mちゃんは私の歩くのを見て、喜んでくれる。

朝から聖書の勉強をする。折角書いたのに保存を間違って全部消えてしまった。全部やり直し。まだまだ使いこなせていない。早くパソコンで書きたいよう。

御霊の実 4 「寛容」ガラテヤ5:22

1 「寛容」の意味
『日本語大辞典』(講談社)では「寛容とは心が広いこと 」。
心の広さであるのに対し、聖書の語る「寛容」(原語「マクロスミア」)は「時間の長さ」を意味している。
「寛容とは結論を急がず長く時間をかけられる心、長く待てる心」のことである。




2 「寛容」であるべき領域
神の計画に対して
①活躍ーモーセが用いられた年は ?(使徒7:23、30)
 四十歳になったころ、モーセはその兄弟であるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。23
 四十年たったとき、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現れました。30
②人格成長ー「雷の子」と言われた激情型のヨハネが「愛の人」と言われるようになったのは?
 ゼベダイの子ヤコブヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。マルコ3:17

他人に対して
①怒り(ヤコブ1:19)
 愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。
②評価と裁き(第1コリント4:5)
 ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。
③赦し(マタイ18:21-22)
 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
21
 エスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。22


3 「寛容」を身につけるために
自分を吟味すること(マタイ7;1ー5)
 さばいてはいけません。さばかれないためです。1
  あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、

  あ なたがたも量られるからです。2
  また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、

  自分の目の中の梁には気 がつかないのですか。3

 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』 などとどうして言うのですか。

 見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟 の目からも、ちりを取り除くことができます。5


 苦手な人も各々がキリストの身体であるという理解(ローマ12:3ー5)
 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。3
一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、4
大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。5

 自分への神の赦しを忘れていないか (コロサイ3:13)
互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。


二度も資料を書き写してしっかり「寛容」が理解出来たかな?