a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

喜びの生活(9)ー 弱さを喜ぶ

連休になるので、整形外科へ薬を早めに出してもらいに行く。

私と同じ考えの年寄りで待合室は満員だった。

往路は歩いて・・・2850歩の坂道で、階段は2階上がったことになっている(スマホのデーター)。

しばらく汗が止まらず。

 

帰路は迎えに来てもらった。

昼食後は曇り空のせいで眠くなって映画を観はじめてすぐ寝てしまった。

シネフィルWOWOWで観ていたが、録画していなかったから見逃したことになる。

残念。

夕方少し庭に出たら早速蚊に刺された。

もう蚊の出る季節〜?

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

  

 喜びの生活(9)ー 弱さを喜ぶ

 

聖書 第2コリント12:2-10

 

1、パウロの弱さと切なる願い

 ①肉体の棘 

風土病か眼病ではないかと言われる。

表現から痛みを伴う病と思われる。

また人目を気にしていた。ガラテヤ4:14

パウロも病で悩み人目を気にする人生の挫折を経験した。

②切なる癒しを願う祈り

これを去らしてほしいと「三度も主に願った」

この祈りは叶えられず癒され無いことは更なる挫折であった。

 

2、パウロの驚くべき告白

 私は大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。 と語る。

何故そう言えたのか?

①弱さに関する意味が変わった。

肉体の棘を「サタンの使い とみなしていたのが、

神の恵み と意味が変わった。

リビングバイブルでは「いや治すまい。しかしわたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか」神の特別の愛を知った。

②弱さに勝る新たな力を知った。

わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。

パウロは肉体の棘が取り去られることばかり考えていたが、神の御心はその弱さを超える新しい力を注ぐことであった。

例:星野富弘さんの場合の新しい力は、

ー元の体への回復ではなく新たな力で生きる祝福ー

 

3、弱さを克服したしるし

①自然体の中で弱さを語れる自由

パウロがこの肉体の棘を得たのは14年前からだったが、語れるようになったのは新たな力を確信してからだった。

②弱さを受け入れる