私のお父さんの好きな「文楽」
父が趣味に没頭している姿を見たことはない。
只々お商売が面白くて、他のことに頭や時間を費やすことは出来なかったのだと思う。
母は歌舞伎が好きで、それに関連して日本舞踊や三味線が好きだった。
私は母の要望で日本舞踊を習わされ、長唄の三味線も稽古した。
まあ嫌いではなかったし、長唄はすぐ上手くなって(自慢しいの癖が出た〜)「名取に・・・」とおっしょさんの声が聞こえて来たので止めた。
歌舞伎も母と観に行って以来歌舞伎の魅力にはまってしまったのだが。
同じくはまってしまったH子姉と一緒に特に上方歌舞伎を観た。
二人の歌舞伎鑑賞は初日のチケットを買うのだった。
初日は1幕少なくなるけれど、昼夜通しを同じ料金で観ることができた。
舞台装置のあれこれが上手く運ばないでモタモタするし、役者のセリフもprompterの声が大きかったりして、それも面白かった。
朝から晩まで中座や歌舞伎座に浸っていたのだ。
二人は「通(つう)」を気取っていた。
ようやる。
父は母が私に日本舞踊を習わせ、長唄まで習わせているので「芸者にさせようと思ってるのんと違いますか!」と母に小言を言っていた。
呉服屋が出入りするのも父は嫌いで、母は娘たちに着飾らせたいのに、父は華美なのを嫌った。
父は「文楽」が好きだった。
何故「文楽」かというその理由が泣ける。
父がまだ子供の頃、貧しい暮らしのうちに亡くなった母(私の祖母)が文楽が好きだったのだ。
金澤から大阪へ出てきて「文楽」というものを知った母に人形浄瑠璃を見せたかった、義太夫を聞かせたかったというのであった。
ところが私の母はあんな足元が頼りない人形の芝居は嫌いや、と一緒に行かなかった。
そういえば文楽の人形は右手と頭(かしら)を人形遣いが動かして、左手と足は弟子が使う。舞台の上で足は板につかない。
絶えずふわふわ浮いている。
それが嫌だというのだった。
私は単純だから文楽にもはまってしまった。
吉田玉男という人形遣いが素敵で、いつも花道のそば近くで観た。
人形浄瑠璃は人形が主役なのに、人形遣いについ目が行った私はその頃お年頃やった・・・。
それと何と言っても魅力的だったのは義太夫節と言われる浄瑠璃だった。
浄瑠璃は人形が演じる芝居の筋書きやセリフを三味線に乗せて歌い語る日本の音楽である。
それは歌うのではなく「語る」という。
全てのセリフを声を変化させて語る。
泣いたり怒ったり笑ったりの変化が面白い。
語る太夫さんは大きな体を揺すってオーヴァーアクションで語る。
大抵の太夫さんは顔もでかくて厳つい。
対照的に横に座っている三味線弾きは優男で、特に左手が優美に糸を抑え滑らせるその指が細く長くて(細かいチェック)何とも魅力的なのである。
太夫の語りを支える縁の下の力持ちが美しい優男。
この取り合わせの妙。
私のブログの読者は若い人が多いし、当然知っているだろうと思っていつも書いているけれど、81歳の私が書くこと全てを知っているとは思えないので、つい脱線して説明が長くなってしまう。ごめん。
例えば、太棹(ふとざお)というのは浄瑠璃の三味線で、糸も太く撥(ばち)も大きい。
私が長唄の稽古をしていたのは中棹。
浄瑠璃の太棹の音色は重厚でズシンとお腹に響く。
しびれるような魅力的な音色。
父が好きだった人形浄瑠璃。いつの間にか私は好きになっていたのである。
長い年月が経った今、A家へ嫁いだから呑気に三味線なんか弾くこともなく時が流れてしまった。
今も三味線は持っているが、皮は裂けて弾ける状態ではないし、私の手も指も頭もすっかり忘れてしまっている。
西洋音楽だけに関わっている今の私だけれど、父の思い出とともに耳の奥で太棹の音が懐かしく響く時がある。