a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

安らぎのある生活 (7)

最近、91才になられた先輩と教会で再会してから(教会の近所に住んでおられる)、時々長電話をするようになった。頭もしっかりしてるし、やる気も十分持たれている。

私の方が負けそうだ。

物忘れがひどくなって、保険証を忘れて医者に行った話をしたら、

「私はいつもお薬手帳と保険証をバックに入れてますの。

この前も血圧が急に下がって動かれへん様になったので、隣に住んでいる長男の嫁に助けてもらって救急車に乗ったんです。

その時もしっかりバックは持ってましたの」

う〜む、体は動かなくても頭は働いているのだ。

 

家で退屈になったら隣の図書館へ行って本を読んでおられるそうだ。

図書館が「逃げ場所」なのだって・・・。

一人住まいで何から逃げる?寂しさから?退屈から?

来月の教会の「歌の会」にお誘いすることにした。

 

   *  *  *  *  *  *  *  *

 

安らぎのある生活 (7)

金剛バプテストキリスト教会婦人聖書の集いより

 

聖書 詩篇16:6-1

心地よい環境での安らぎを感じるのは誰にでもできるが、そうでない環境では難しい。

それだけに苦難の中で安らぎを得られたら最高である。

聖書はダビデにそれが与えられたと語っている。

 

1、ダビデの体験した安らぎ

 私はいつも、私の前に主を置いた。

 主が私の右におられるので、

 私はゆるぐことがない。 

 それ故、私の心は喜び、

 私のたましいは楽しんでいる。

 私の身もまた安らかに住まおう。

特徴は、

①動揺しない。

②心に喜びがある。

③生活に安らぎがある。

ー3千年前の時代とも思えないほど、現代が渇望する安らぎー

 

2、ダビデの置かれた環境

 神よ。私をお守りください。

 私はあなたに身を避けます。 

 私は、主に申し上げました。

 「あなたこそ、私の主。

 私の幸は、あなたのほかにはありません。」 

この詩篇16篇はダビデが主君サウルから妬みと誤解をうけて逃亡し、洞穴に逃げ込んだ時の作である。

正にそのような苦境の中での祈りであった。

 

3、ダビデに安らぎをもたらしたもの

①信仰的理解

苦境にあったダビデに安らぎをもたらしたものは、置かれた環境で信仰的受容で受け止めた事によるものだった。

 測り綱は、私の好む所に落ちた。

 まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。

今はサウルによって命を狙われている危機の中にあるが、かつて預言者サムエルによって「やがて次代の王になる油注ぎを受けた事を思えば必ずみ言葉はそうなるから、命は奪われないとの確信に至り、王になるための訓練になると信仰的理解ができた。

信仰的受容の素晴らしさ!

 

②神の助言に聴く生き方

 私は助言を下さった主をほめたたえる。

 まことに夜になると、私の心が私に教える。

神のみ言葉を思い巡らす事は敬虔な信仰者の生き方。

 マリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。 ルカ2:19 

 ・・・・・母はこれらのことをみな、心に留めておいた。 ルカ2:51

③神がいつも共にいてくださる

 私はいつも、私の前に主を置いた。

 主が私の右におられるので、

 わたしはゆるぐ事がない。

(右=最も近い意味)

イザヤ41:13、14