a-dollのブログ

忘れたくない日々のあれこれの記録

楽しみと喜び(7)ー仕事を楽しむ

 

f:id:a-doll:20190412095025j:plain

ガーデニングという言葉は私の脳裏から消え去ってしまった。

ただ、宿根草や球根が移動して庭のあちこちに咲いてくれるのを楽しむだけ。

庭木は赤い新芽をつけて春の庭は明るい。

恵みに感謝しながら、ぼーっとねこと一緒に日向ぼっこをする私の幸せ。

 

写真は著莪。

フリルの花びらと紫とオレンジ色の取り合わせの見事なデザイン。

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

楽しみと喜び(7)ー仕事を楽しむ

 

金剛バプテストキリスト教会 婦人聖書の集いより

 

今日は聖書から仕事について学ぶ。

 

聖書 伝道者の書3:22

 私は見た。

 人が自分の仕事を楽しむことに勝る幸いはないことを。

 

1、仕事の始まり

 神である主は人を取り、エデンの園に置き、

 そこを耕させ、また守らせた。創世記2:15

この仕事のことを「文化命令」と呼ぶのだが、本来仕事とは世界を管理する光栄ある神の務めに預かることであった。

仕事と聞くと「労苦」が人間に課せられたと思ってしまうが、そうではない。

子供がお母さんの家事を手伝うのが楽しいように「仕事」は楽しかったのだ。

神は人間の喜びと楽しみのために「仕事」という恵みを与えられたのである。

 

2、働くことが苦痛になる

しかし仕事が苦痛に変わる。

  創世記3:17-19に記されている。

本来楽しかった仕事が、

 大地に茨やあざみを生えさせて、18

 あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。19

 

その原因は人間が神に背いたことから始まったのである。

世界を管理するという光栄ある神の仕事がパンのための労苦に変質した。

これが今日の仕事の現実である。

 

3、仕事の回復

仕事の苦痛は神への反逆が原因である。

しかし神はキリストによって回復の道を与えられた。

神に対して応答するとき、人間は本来の人間に回復する。

神の愛の語りかけに応答する礼拝と「文化命令」に対する応答としての仕事においてである。

・神に立ち返るとき、仕事本来の意味が回復し光栄ある神の務めに参与しているという意義を取り戻す。

・自分の才能や個性が生かされ磨かれる場である。

・仕事を通して得た収入の喜びが与えられる。

 収入が良いのを味わい、

 そのともしびは夜になっても消えない。 箴言31:18

・仕事も奉仕も家事も神に仕える場である。

 何をするにも、人に対してではなく、

 主に対してするように、心から行いなさい。 コロサイ3:23